大学閉鎖、奨学金受給停止。それでもぼくが途上国ウガンダで留学を続ける理由。

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ウガンダからこんにちは、こんばんは!

トビタテ4期、理系コース、海外初チャレンジ枠でウガンダ、マケレレ大学に留学、現在はウガンダに進出している日本の民間企業にインターン中の荒井悠太です。

今回は、私の経験した「アフリカらしい事件?」について記事を書きました。

「その日」は突然やってきた。大統領「マケレレ大学を閉鎖せよ」

いつも通り学校に行くと、やけにキャンパスが静かだった。

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前の週は学生が大学に対し抗議のストライキを行っていて、警察もたくさん出動していて怖かった。

それの反動もあって閉鎖が決まったその日は不気味なくらい静かだった。

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メインホールの前の通りも車だけが残っていて、人が全然いない。

やっとこさ見つけた大学スタッフに声をかけると「しばらく授業はないよ」とのこと。

とぼとぼとホステルに帰ってPCを開きニュースを見ると大統領命令で閉鎖の文字。なんじゃそりゃ。

http://www.newvision.co.ug/new_vision/news/1439133/museveni-closure-makerere-university

この件について詳しくは触れないが、簡単に言うと講師への給料未払いが原因だった。

当時はとにかくもうすぐ行われる予定だった中間テストがいつになるかの心配ばかりしていた。

日本の所属大学から電話が来る「荒井くん、日本に帰ってきますか?」

とりあえず毎日ネットで情報を追い、テスト勉強を続ける日々。

大学再開について「3か月でケリをつける」と教育省の人がコメントしていたり、仲の良い大学スタッフは「来週とか再来週には再開するんじゃない?」とみんな言うことはバラバラ。

いつからいつまでという正確な情報が無かった。そりゃあ大統領が指示したことだし、彼にしかわからない気もするけど。

そんなある日、見知らぬ番号から電話がかかってくる。

+81…日本からの電話番号だ。電話に応じる。

あらい「ハ、ハロッ…じゃなかった、もしもし?」

??「もしもし、あらいくんですか?」

不意打ちすぎて最初に声を聞いてもイマイチだれだかわからなかったが、落ち着いて会話をしていくうちに日本の所属大学の担当の先生だということを認識する。

どうやら、マケレレ大学から正式に閉鎖のレターが来たらしく、マケレレ大学からの指示は、大学閉鎖の間「家に帰れ」とのこと。

そのため先生から「どうしますか?」と聞かれた。

なんと、ぼくが思っていたよりも状況は深刻だった模様。

この時なぜかはわからないが、気づいたときにはぼくは「ウガンダに残ります」と答えた。

そして、電話を切ったあと、めちゃくちゃへこんでいた。

日本で素敵なクリスマスを送ることも(彼女いないけど)

実家に帰って新年を迎えることも

そして20年間待ち焦がれていた成人式も

その他もろもろ全部あきらめたことに電話を切ってから気づいてしまった。

帰国してラーメンが食べたかった…。

このままじゃ終われない、帰れない。

なんであの時ウガンダに残ると言ってしまったのか。

ぼくは電話を切ったあとに理由を考えていた。

別にウガンダが大好きだからこの国に残るわけでもない。

少なくともぼくはウガンダよりも日本が好きだ

人の話を聞かないウガンダ人、交通マナーなんて無いような道路事情、クラブで娼婦に盗られた10万シリング…。

ウガンダでの生活には慣れていたものの、正直嫌気がさしていたのも事実だった。

大学閉鎖直後からウガンダに進出している日本の民間企業にインターン生として受け入れてもらったが、学部2年生の自分のできることに限界を感じる日々、というか自分にできることなんてないんじゃないか、と思うこともあった。

自分が売りにしていたとにかくやってみるという気持ちも空回り。

気づいたら自分が今、何をやりたいのかも見失いかけていた。

自分の軸もブレブレだった。

だけど、だからこそここで今回のウガンダ留学を投げ出したくなかった。投げ出すつもりはなかった

Pearl of Africa. アフリカの真珠とも呼ばれたこの国の可能性をもっと探りたい。

ぼくは自分なりに1年間ウガンダで活動するという覚悟を決めて来たんだ。

帰りたいと口には出しても、実際に帰国する気なんてさらさら無かったんだということに気づいた。

こんな中途半端な形で帰国してしまったら、もう自分はウガンダに戻ってこれない。

悔しさをバネに。

突然閉鎖した大学に対しぼくは不満な気持ちでいっぱいだった。

先生が講義室に来ないのは当たり前、できてたと思ってたらできてなかった授業登録、たらいまわしにされてたビザの手続き、学生証については何か月たっても発行されない。

授業以前の問題が多すぎるこの大学で結果何も残せていない自分にも腹が立っていた。

留学期間の3分の1が過ぎてしまったが、残りの期間もただ時間を浪費して終わりたくはないという気持ちがある。

ありがたいことに、留学中の受け入れ先がなくなってしまったぼくを受け入れてくれる企業と研究・普及機関が見つかったので、今後は民間企業のビジネスを通じた支援と、研究・普及という公的な支援の双方の可能性について、目で見て、体で感じ、考える。

できることは少ないけれど、だからこそできることを着実にやる。

ブレブレだった軸もほったらかしにしない、今自分が何をやりたいのか、これから何をするのか心の声に耳を傾ける。

決める、自分が進みたい未来を。

残りの留学期間、短い期間ではあるけど、今回の一件をバネに前へ進む。

焦らず、じっくりと先を見据えて成長する。

もっともっと大きくなって日本に帰るんだ。

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以上、赤道直下の国ウガンダより真冬の日本へ、勝手に一人で熱くなっちゃってる男の留学レポートでした。

この人に留学相談したい方は、Diverseasからどうぞ