【教育留学レポート#番外編】教師を目指す学生こそ海外へ!教育者の卵が”教育留学”しているからこそ学べたこと<新興国編>

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ジャンボ!アフリカはタンザニアで教育留学中のトビタテ4期生の鈴木健太郎です。

これまで三人のトビタテ生の教育留学を配信してきました(まだ読まれてない方は是非!)が、今回は箸休めとして、企画者である自分が#番外編として記事を書きました。

”教育留学”への思いを込めて書いたので、よろしければ最後までお付合いください!

 はじめに

教師になるためには、日本には幾つかの方法があります。それは、教員になるために必要な教員免許状の取得に幾つかの選択肢があるということです。

その中で、多くの教師を目指す学生は、4年間で教免(教員免許状)を取るための単位獲得とそれに付随して数回にわたって実施される教育実習なるものを経験し、それぞれの市町村での教員採用試験のための受験勉強をします。そして大学卒業とともに、試験に晴れて合格できると新卒で教師になることができます。

でも、そんな決まったレールを進んで教師になることに疑問を感じたこと、「このまま先生になっていいのだろうか」と自分の今後のキャリアに悩み、今そこから脱線してこうしてアフリカという地で”教育留学”をしているわけでもあります。(そんな飛び立った理由はこちらから『教育者の卵が大学を休学してまで”海外留学”する理由』)

そんな留学中に、様々なことを学ばせていただいてきました。今回は、教師になるための日本での学びと比較しながら、教師の卵が海外でこそ本当に学べることについて、新興国フィリピンでの留学経験を中心に、3つの点から紹介させてもらいたいなと思います。

1.「日本の教育も捨てたもんじゃない」っていうこと

日本では教育に関する様々なトピックスが、多くのメディアにより「日本の教育は時代遅れ、これからの時代に適した教育に変えなければ」といったような論調で語られることを、自分は目にしてきました。

正直言うと、留学前の自分はそのメディアに流されるかのように、「とにかく日本の教育現場は問題山積、日本の教育を変えるために海外の教育現場で学びたい」と一方的に言ってきました。

それでも海外に出てきて、日本の教育への見方は180度変わりました
それの一つに、実際に日本の教育が高い教育水準にあるということ、日本の教育が「よいところ」を持つということを実感させられたことが挙げられます。

これはフィリピンで教育留学していた時のことですが、フィリピンの大学に通う教育学部生に、フィリピンで学ぶ理由を聞かれ、自分はいつも通りの”とにかく日本の教育がまずいから変えないといけない論”を展開しました。それを聞いたその学生は、

「日本の教育のどこかまずいの?どこかしら問題はあっても、日本の教育水準は高いし、何より日本人は頭がいい。フィリピン人は未だに基礎教育が遅れている。」

と言い、その後、その学生の知る日本の教育の優れているところを熱弁してくれました。

今日、日本の教育は、”ゆとり教育”による学力低下がさけばれ、政治的には、社会保障費に占める教育費の割合が他国と比較して低いため、教育が軽視されていると、メディアをはじめ日本国内では様々な場面で悲観的・批判的に扱われることが多いです。(もちろん改善を目指すからこそ、マイナス面を指摘するわけではありますが…)

しかし、海外で思うのが、それが日本人だけが語る日本の教育だったのかもしれないということです。

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「OECD生徒の学習到達度調査(PISA2015)のポイント」by国立教育政策研究所

こちらの先日発表されたOECD(経済開発機構)が行う学習到達度調査 (Programme for International Student Assessment, PISA) の結果をまとめたランクング表からも見てもわかるように、日本の学力は未だ世界の中でも高い水準にあり、社会保障費についても少ないと言われる費用でここまで教育水準を保ってきたと考えれば、優れているとだって十分に言えます。

ある意味このような見方は、その教育現場の当事者として日本で学ぶ際には、学べなくて当然なのかもしれないません。それは、フィリピン人の学生がそうであるように、自身が自国の教育への当事者意識を持ちながら、日本の教育のようなある意味”部外者”の立ち位置で、それが見れたからなのかもしれません。

自国への当事者意識を抱えながら(抱えているからこそ)、それを外から一度離れてみることで、違う角度から見えてくるものがある。

自分が日本の教育の「良いところ」に目を向けれたのも、その一つの気づきだったと思っています。だから、自分は日本の教育現場へ当事者意識を抱えながら、今後の留学でもっと日本の教育にある「良いところ」をたくさん見つけ出したいなと思っています。

2.「”教育”がその国の人をつくり、社会をつくり出している」っていうこと

「学校は社会を映す鏡である」

どこかで聞いたこの言葉を、今海外でつくづくと実感しています。

フィリピン人は楽観的でポジティブ思考、そんなフィリピン社会は女性がよく働く女性社会。これらのキャラクターが、多くの場面でフィリピン人に当てはまると現地で感じていました。

そんなフィリピンの現地の学校現場へ行くと、そんなキャラクターを生み出す要素がいくつも散らばっていたのです。例えば、フィリピンの教室はとにかく活気があり、みんな授業でも休み時間でも個性むき出し、案の定その個性はぶつかりますが、先生は滅多なことがなければそれに介入しようとはしません。(ただ面倒だからというのもあるみたいですが…)また、男の子と比べてしまうと格段に女の子の学びへの意欲が違うのがわかります。授業への集中力、発表などでの積極性など、多くの場面で女の子の意識の高さに感心させられました。

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とても人懐っこいフィリピンの子どもたち

そんな学校で、フィリピンの子どもたちは自己をあまり否定されることなく、男の子も女の子も、いい意味でも悪い意味でも自由奔放に成長することで今のフィリピンのキャラクターが成り立っているのだと感じました。

もちろんこれらは、教育以外の様々な環境的要因も含めて成り立つものではあるとは思いますが、学校は人をつくり、そしてその人が社会をつくっていくのだと感じました。

異国の教育現場で学ぶと同時に、その地で生活してその国のこと・人々のことを知ることで、教育がどのようにその国の社会に反映されているかに気づく。そんな”学校と社会のつながり”が実感できることも、海外で学ぶからこそ気づける学びの一つかと思います。あるトビタテ生の言葉をかりるなら「教育とは人づくりであり、人づくりとは国づくりである」、そんなことを日々フィリピン→タンザニアで留学しながら、噛み締めています。

そして、そこから自分の場合は、学校と社会のつながりを見据えた学びこそが”学びの本質”、特に公教育として位置付けられる学校教育の学びにはあるべきである、と思うようになりました。

そのつながりのある学びとは、今日本に強くあるいい大学・いい会社に入ることを(無意識にでも)目的意識に持った勉強のことではなく、おそらく「なぜ勉強しなければいけないのか」「なせ学校へ通わなければいけないのか」、といった類の疑問へのそれぞれの答えとなる学びへの自分なりの目的意識を持った学びのことなのではないかと、漠然と思っています。

そんな、これからの日本をつくる学びの場に求められる学びのあり方を、留学の中で今はまだ絶賛模索中です。

3.「日本の教育はやっぱりこのままじゃまずい」っていうこと

そうなんです、上で述べたことと矛盾してるんです。

述べていたように、日本の教育には他国にない「よいところ=強み」が多くあると思います。しかし、自分もそうであったように、多くの日本人はその”強み”にほとんど気がついていない、それか気づいていたとしてもそれを”強み”としては打出さず、「悪いところ=弱み」に目を向けてはそこを直そうと着手します。(もちろん、そのような部分を主張、改善していくことも必要です。)

自分は留学する中で、日本の教育のまずい部分に、以上を含めたズレた”学びの価値観”がはびこっていることがあると考えるようになりました。それは例えば、”時代にズレた学び”、”子どもの好奇心にズレた学び”のように様々なものがあげられると思っています。

ここでまた、フィリピンの教育を事例を取り上げさせていただくと、

現在毎年GDP成長率7%維持する、経済発展真っ只中のフィリピンでは、本年度より抜本的な教育改革・通称”K-12”に乗り出しました。この改革による変更点は、今まで10年と他国に比べて短かった基礎教育年数を、13年に拡大することに核が置かれています。(フィリピンの教育改革について詳しくは『フィリピン史上最大の教育改革”K-12”って何?』に書いています。)

この改革とともに、フィリピンの教育の動向を見ていく上で欠かせないのが「英語教育」です。フィリピン人は誰もが英語でのコミュニケーションができると、自分は現地での留学でそれを身をもって感じました。それぐらい、フィリピン人にとって英語でコミュニケーションがとれることは当たり前なのです。実際、そのような要因には、学校教育と教育環境が大きく起因していました。(フィリピンの英語教育事情について詳しくは『海外の教育現場から考える日本の教育のあれこれ【アジア・フィリピン編#1 英語教育】』に書いています。)

この二つのフィリピンの教育事情から見えてくるもの、それは『国を挙げて教育水準を高めるとともに、その”強み”である英語教育を継続・向上させていくこと』でした。

今日まで海外とのヒト・モノの行き来で成り立ってきたフィリピンにとって、今後ともグローバルな関係性は間違いなく不可欠なものです。そのような社会的要請に対して、教育に求められたもの、それは世界標準の基礎教育と”強み”となれる英語教育だったのではないかと思われます。確かに、フィリピンの理数科目における学力水準はアジアでも最低レベルです。ですが、フィリピンの教育はその”弱み”よりも間違いなく、「英語教育」という”強み”をより伸ばすために舵が切られた、と留学を通して現地で肌で感じました。

日本にはない”学びの価値観”が、そこにはありました。
それは、”弱み”を悲観し一定水準に高めようとするよりも、あるものを伸ばして”強み”にしていくというもの。このような”学びの価値観”が、教育行政の規模でなくても、日本の教育現場にも必要なのではないかと自分は思います。

例えば、生徒一人単位で見れば、それぞれ一人ひとりには得意な教科があれば苦手な教科もあります。そんな時、日本の教育現場ではよく苦手な教科を平均値にあげることに一生懸命になる傾向があります。生徒それぞれの得意を伸ばすことよりも、均一な学力をすべての生徒につけさせるために。

そのような学びの”価値観”が、日本では少し過度に存在するように自分は感じています。得意をさらに伸ばして、それをその子の”強み”にする。そうすることで、生徒の学びへの自信に繋げてあげる。そうすれば、もしかしたら生徒の苦手な教科への学びの意欲も高まるかもしれません。

日本に今ある”学びの価値観”を絶対だとせず、絶えずその価値観に変化を加えていけることが大切であると、自分は感じています。

その点でいうと海外で学ぶことは、多様な”学びの価値観”に触れられる絶好の学びの場であると思います。

終わりに

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先日の弾丸サファリツアーでの一枚

今回挙げた3つの学びは、海外で学べるほんの一部分のものにすぎないかと思います。ですが、どれも海外で学ばなければ実感値を持って気づき得られないものだと、自分は思います。

そもそも教育者になるための学びが、果たして単位を取るための講義履修・ゼミ活動に、教採に合格するための受験勉強、4年間のうちのたった一ヶ月ほどの現場での教育実習、それだけの学びでよいのでしょうか?もちろんその学びが少ないとは言いません。ですが、量はあってもそのような狭い世界で学んでいて、本当に子供たちが描く世界を広げてあげることができるのでしょうか?

自分はできないと思います。だからこそ、まずは自分の世界(価値観)を広げること、それこそが教育者を目指す上でのファーストステップになると、自分は思っています。

「教育者を目指す学生にこそ海外で学ぶ選択肢を」

これが今、自分が同世代の教師の卵に伝えたい思いです。

自分はこの思いを伝えるため、海外での自身の学びをこれからも発信していきますし、さらに他のトビタテ生の力もお借りして、多くの”教育留学”での学びの価値をこの場で共有していきます。是非次回#4のレポートも覗きに来てください。

ところで、トビタテ!留学JAPAN大学生コースではちょうど7期生の募集も始まっています。少しでも海外という学びの選択肢を考えられている方(特に教育者を目指す学生さん)、自分でよければ何でも相談にのりますので、是非以下の留学codeのリンクから自分(スズケン)をメンターとしてお選び下さい。

また、2月よりヨーロッパ・オランダへ渡航しますので、そこでの学びはこの記事の<先進国編>として書かせていただくつもりでいます。

 

この人に、留学相談したい方は、Diverseasからどうぞ