誰にも共感してもらえなくたっていい、あなたが、留学を決めた理由はなんだろう? トビタテ生に聞いてみた

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小学生の時に「もしも自分が世界の社会問題を解決するような博士になるなら、必然的に海外で研究する日が来るだろう」と思ったのが一番初めの決め手でした\(  ´ω`  )/

中高生になり周りは大人も含め誰も海外に行ったことがなくて一度子どもの夢は潰れかけましたが笑

ん、これ質問に答えてないかもです…

大学2年のときに「国内の人権保障は学び終わったから次は世界レベルの人権保障を知りたい」と思ったのがキッカケかもです

 

学部2年の時に、「自分の所属学科のドクターコースには外人しかいない」という事実を知ったときです。
それほど研究者になるのは大変なのかと非常に驚き、すぐにでも海外で研究して研鑽を積もうと決意し

琉球大学に院生が少ないのは、実際の所は、沖縄という土地柄、地元の人は博士まで必要ないからいないし、情報不足で本州からの進学者もいないということでした。

 

トビタテの数年前の留学体験のことですが、単純に、異なる価値観に触れたかったからですね また、どうせ行くなら若いうちに行った方が後々のリバレッジが多くなるとかんがえ、高校生の時に留学しました。色々なことが出来る人になりたいのです僕は。だからこそ、価値観を壊さないと、凝り固まったままじゃないかと思いました。座右の銘は”とりあえず飛び込む”です笑 また、英語が出来れば、スキル上達への情報量も増えるはずだと思いました。

 

2年前のことですね〜。

ある日突然「来週から休学して1年フィリピンいくことにした。」と、毎日顔を合わせるほど仲の良い大学の先輩から、そのような報告がありました。

先輩とは、これまで夏休みや春休みを使って、一緒にコミュニティ調査・研究をやってきた仲間だったのですが、先輩は、「このまま自分が大好きなフィリピンに長期で滞在せぬまま卒業できない。」と、勢いで渡航を決意したそうです。

先輩は、自分の人生で初めて「こうなりたい」と思えるような存在で、大学入学時から追いかけて来た人でした。

いざ当日、空港へ先輩を見送りに行った時、先輩の姿が見えなくなってそこではじめて急にとてもとても遠い存在に思えてしまいました。

帰りの電車で先輩とのこれまでを振り返りながらも、「先輩に置いてかれないように、いつか自分も外に出よう。」と決意しました。

結局半年後、色々な事件があって、僕もラオスに飛ぶことになったのですがね。(笑)

今ではその先輩は、自分の初めての恋人になっています。我ながらなんてドラマチック!

↑追記

上記にある、ドラマチックな話。少し続きをさせてください。笑

↑さんが、ラオスに行く直前にフィリピンにいる彼女に会いに来ていたもう1年半ほど前のことです。

大学の研修でフィリピンに初めて来て、すっかりフィリピンに魅せられ、興味関心を持つという経験がなかった私が今回の留学のテーマでもある「貧困解消」を強く知りたい、学びたいと思いました。

そんな中、フィリピンに留学にきているかずさんの彼女と、トビタテでラオスに向かおうとするかずさんをみて、今持った興味関心を留学という形で深く入り込めるのではと感じました。

帰国してすぐ家族に訴えるも、金銭的な面で無理だときっぱり。
かずさんの話を思い出し、2期のトビタテを受けるも落選。

やっぱり留学は遠いものだと諦めていました。

それでも貧困解消への興味関心は消えず、
長期休みにフィリピンに渡航。
そこでまたトビタテ生の方とお会いしました。
その後、↑さんが帰国し、ラオスでの経験を聞いて、
もう一度、4期に再挑戦し、学びたいことが学べる、大好きなフィリピンに行けるチャンスをつかみました。

↑さんと↑さんの彼女は両親みたいに大好きで、尊敬しています。あの時フィリピンで私に火をつけてくれた2人に本当に感謝しています。

 

私は元々中2くらいまでは絶対に留学なんかしたくない、日本にずっといたい!
と言っていたんですが、中二の秋から海外ドラマGlee をみ始めてから、海外の学校生活に憧れ、留学したいと思いました!

 

キメテとなった理由は、『自分の常識を壊したい』と思ったからです。

もともと、知的好奇心は強い方で、異文化を感じたいと思い、留学生の友達を作りました。さらに深く知りたいと思い、留学生寮の住み込みのボランティアを行いました。その過程で、自分がいかに世界的に見た「非常識」を「常識」としているかを痛感しました。またその原因は日本の単民族国家のような環境にあると思いました。そのため、日本から一度飛び出してみたいと思い、留学を決意しました。

念のために言っておくと、留学に行きたいと思った理由と、留学内容を決めた理由は別です。

 

高校時代は英語が常に追試、私は日本から絶対でないから英語なんていいの。と生物科に進学しました。笑
ご存知の通り(?)海が大好きなので大学に入学してすぐに体育会ヨット部に入部。しかし、そこにあったのはヨットの楽しさの前に男尊女卑であり年上に絶対従うことが当たり前すぎるひどい環境でした。一年女子の私は最下位カースト。意見は通らず押しつぶされていくまま。それに耐えらなくなり『この人たちは世界を知らないんだ、きっと違う空を見たことがないんだ、かわいそうだ(笑)』と思い始め、それなら自分が新しい景色を見て新しい風を吹かせて変えてやろうと思い、一年生の春休みに(部活から逃げるようにして)オーストラリアに行きました。当時はyes/noしか話せないひどいスタートでしたが、自分が個人として認められる喜びを知り、帰国後は部活にそれを持ち帰ったものの、残念ながら彼らが変わることは無かったので先輩をコテンパにしてから今の道にシフトしました。私が一歩踏み出した理由は、先輩が嫌いだからでした。笑

 

僕はトビタテがきっかけでした。海外行ったことなくて、研究室の教授にトビタテ出してみたらって言われて、そんなことを言うような先生じゃないので、そんな先生が言ってるんだから行ってみよう(やってみよう)って思いました。

 

私は大学のプログラムで2週間だけ海外研修&観光に行ったのがきっかけでした!答えになってないかもですが。その時に、なんで今まで日本ていう小さい国に留まってたんだろう。世界は広くて経験したことないことがたくさんあるのに世界を知らずに日本だけに留まって死んでしまうのはもったいない!と実感して最初の留学を決意しました!

 

この前のアンケートもぜひお手伝いしたかったのですが、パソコンの不調で何度開いてもうまくできませんでした、すみません。

わたしの爆弾は彼氏に突然ふられたからです!
幼い頃からなんとなく世界の子どもたちのことを考えていたからいつか、そういう現場に赴きたいと当時から思っていたものの、彼氏に依存してひとりでは何もできなくなってました。
そしたら急なお別れ宣言!
背中を押すという意味だったのでしょうが、殺そうか死のうか迷いました。

憧れのNPOの創設者さんも失恋が原因ですべてはじまった、とのことなので、自分はきっとビッグになれると信じています(笑)

 

 

私は、高校の修学旅行でマレーシアに行き、日本の当たり前は当たり前じゃないことを実感しました。
そこから国際協力分野に興味を持ち、将来の夢になりました。
ならば、学生生活でそのリアルに触れる必要があるのではないかと思い、カンボジアで国際協力に関わるインターンをしました。

そこには大学の特別教授(JICA•UNICEFで働いた経験のある方)に出会えたことや、親の理解があったこと(大学の認定プログラムでもあり、休学しなくて済んだから)ではないかとと思います。トビタテに応募したのは、このコミュニティに参画すれば面白いと感じたことと、大学の仲間(国際協力に関心がある人)以外のコミュニティに属し、影響され影響したいと思ったからです。

 

私が中〜高校生のころ、日本は景気が悪く、暗いニュースばかりでした。
そのため外国に目を向けるようになり、発展途上国、特に東南アジアに注目するようになりました。
インドネシアを選んだのは、国の今後の可能性を考慮したのと、ご飯が美味しそうだったからです(笑)
留学自体は高校の頃から必ずしようと決めていました。
両親の海外生活面白話に影響され、私も若い頃に外国を見てみたいと思っていました。

 

私はディープな部分でいうと、1番仲がよかった友達が休学することが決まり、その子に負けたくなかったこと、一緒に卒業したかったのと。それと、不純な動機ですが同い年の彼氏が大学院に行くので、休学することで私が先に社会人になる期間を少しでも縮めたかったのもあります。

そういった環境から、私にとって休学という選択肢はあまり特別なものではなくて、実際は周りに流されるように決めたのかもしれません。
そして、日本を離れる留学という手段で休学を決めた最大の理由は、このままだと友達や彼氏にどんどん依存してしまうだろうな、ということが何となくわかっていたからです。物理的に離れることで独り立ちし、余裕のある人間になりたいなと思い、行ったことのあるカンボジアへの留学を決めました。

 

大学院一年生の頃、10月くらいの話でしょうか、シリコンバレー医療機器エコシステム会議というものに参加したのが最大のきっかけです。

正直言って不思議な話なのですが、大学院1年生の秋までは、留学自体に完全に反対していました。言葉を変えて障壁を増やし、ただ時間を浪費していると思っていたからです。おそらくは僕自身、それまで完全に部活に没頭していましたので、留学したからと言ってかっこいい顔しているトビタテのような方々の姿勢が嫌いだったのが理由だと思います。ぶっちゃけた話すみません。

しかし日本の医療機器と言うレアなところに従事しようと思った際に、どうも日本のその分野の状態は良くないらしい、と言うのをスタンフォードから来られた方がディスカッションしているの聞いて、「は?ふざけてんの?」って思って調べまくり、会議の座長の方に連絡を取って「何が違うのか?」等の話を聞きに行ったりするうちに、「どうもそうらしい。行ってこの目で見てくる。」と思ったわけです。意思決定と同期の初穂がまあ遅かったので、そこからの道のりは大変でしたが、何とかやってるという感じです。
こういって単純な一つのイベントを挙げるのは楽ですが、崖から飛び降りる決断をするためには崖のふちに立つまでのプロセスが必要なので、話はさらに長くなります。ここに書くには長すぎるので失礼します。

僕は未だに日本がどうこう海外がどうこう言っているのは根本的に問題を取り違えているせいだと思っていますが、留学させていただいていることには感謝しています。

 

専門の学びを深めるべく大学院進学を考えた際、国外でも学べる選択肢があったので、専門学べて、さらに日本国外からの視点が持てるようになるし一石二鳥だなと感じたから、、という感じです。が、何よりその時に自分を突き動かしていたのは、「わくわくする、自分でも一年後が想像つかない」という冒険心のようなものだったのかなと思っています。

 

ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂壁画を見たかったからです。

 

幼少期から外出するのが好きな子どもだったと記憶しているのですが、元々きっかけを振り返ってみると9.11です。。。

2001年当時、僕は小学3年生で、その時は「何か大変なことが起こった」程度にしか考えていなかったのですが、中高と進学していく中で、ふと自分自身に「中東=テロ=危ない」というバイアスがかかっていることに気が付きました。。。「でもそこにも人はいっぱい住んでいるしなぁ…」と思い、アラビア語を学んで現地の人々に入って、現地の人々の暮らしを知りたい、と思ったのが高校3年生。時を同じくしてなんとなく「難民キャンプの白いテント」が頭に残っていて、難民支援に携わりたいと思うようになりました。。。が大学に入ってから、その場所がそもそもまず戦争下でない状態でないと、そこに住む人々の生活レベルも全く改善しないし、外部者も入れないので、自分は「平和構築」に携わりたい、と考えるようになりました。

そこから大学3年生(2014年)までは中東にフォーカスを当てていましたが、同年夏に北に入ってから(同年から日本と北朝鮮の学生交流に携わっています)は軸が中東から日本と北朝鮮になりました。

 

漠然と留学してみたいなぁと思っているときに、けっこう身近だった友達に勧められたのが、きっかけです。それまでにトビタテのことを知っていましたが、身近な友達がトビタったのは大きかったです。

 

幼少期からやっていた英語教育プログラム(ラボ・パーティー)では会員とほとんどが中1から高2の間に1ヶ月の異文化体験のホームステイに行くのですが、自分も中1のときにそれに参加し、海外に出ることやアメリカの面白さに惹かれ、絶対また今度はもっと長く海外(出来ればアメリカ)に行くんだ!と決めていました。
ちなみに飛行機を好きになったのも実はその時。
中1で世界に出るためには英語は最低条件だと知ったのがグローバル人材を意識するきっかけですね。
高専入学からは、誰から見ても圧倒的フルスペックと経験を持ったグローバル・リーダーになるっていうのを目標にしてるんで、留学もそのために必須項目だろうって感じですね。
シアトルを選んだのは、ボーイングがあるからきっと行けばなんとかなるはず!という超単純な理由です笑

 

皆さん素敵な理由を書かれてる中恥ずかしいのですが、初めは単なる憧れです。小さい頃親の関係で英語に触れる機会が多く海外に憧れていつか留学したいとずっと思っていました。
大学生になり家族が介護で困っていた経験から福祉に興味を持ちました。福祉を学ぶため、学外でインターンなどしていく中で、日本でいう「障害者差別解消法」にあたるAmericans with Disabilities Act of 1990をアメリカでしか学べないと気づいてから絶対留学したいと思いつつお金や情報収集などの問題でなかなか一歩踏み出せずにいました…そんなときに背中を押してくれたのがトビタテです! 気づいたら二期の応募書類を記入し、今までコンタクトを取る勇気の出なかった受け入れ先大学にもトビタテ応募のためにコンタクトを取っていました。金銭面や安全面などで留学に反対していた親も「あなたの名前「翔」ぶっていう字入ってるし、トビタテってあなたにぴったりじゃない!」とトビタテのおかげで急に背中を押してくれるようになりました。本当にありがとうございました!

 

僕は初めから留学はしようと思ってたんですが、それよりもここまでバンバン海外に行く来てる理由を。
一回目のほんの一週間くらいのタイへの海外旅行であまりに交通量が多くて普通に1人で道路渡れなかったんです。なんかその辺のおばちゃんについて渡りました。んで、それが悔しくて二回目の海外でベトナム行った時の目標が「一人で道を渡る」(笑)
でも、これを空港降りてまず達成した瞬間に「あ、きっと俺はどこへでも行ける」と、思いました。 そこから一気にフットワーク軽くなって、短期ばっかりですが、現在6年間に5回目の留学でトルコに来てます(笑)
海外に出て初めて、世界は広くても、行こうと思えばどこまででも行けるかも、と思ったのでこの話を。留学決めた話でなくてごめんなさい(笑)

 

私は小学生の時に母親とサイパンに行ったのがキッカケで海外に、言語に興味を持ち始めました。その時ホテルで働く人を見て、母に「将来色んな言語を話せるようになりたい。言語を使って働きたい」と言ったそうです。そのあとグアムへ数回行き、高校の時初めてオーストラリアに短期留学、大学1年でスペインに短期留学。これはどちらも学校のプランを利用しました。大学3年生の時、周りが長期留学を決意する中、私は「まだ日本のことを全然知らないのに海外へ長期留学はしたくない!」と思い、やめました。今思えばもったいなかったと思います。交換留学であれば費用もかからなかったのに。
前置きが長くなってしまいましたが、私が今回行ったキューバに関心を持ち始めたのは大学3年生になる時、たまたま見つけたキューバの教育に関する本がキッカケでした。それまでスペイン(大学はスペイン語専攻)やペルー、メキシコなどに関心はありましたが、その本を読んでから、一気にキューバの虜になり、もっとこの国を知りたい、教育制度を知りたい(キューバの子どもは高学力だと言われれいます)、そしてそれは本が語ることであって、現状を自分の目で見たいと思い続けていました。
学部時代のゼミ、そして今修士課程でキューバの教育の研究を続けて行く中で、現地の資料も必要でしたし、でも何よりこの国はどんな国何か見てみたい、生活してみたいという気持ちが強かったです。日本は発展しすぎている、もっと不便でもいいんじゃないか?不便でも生活出来れば、質素な生活でいいんじゃないか?と思っていました。おそらくそれは3.11の原発の事故の時からそう考え始め、キューバに出会い、さらにそう思うようになりました。そして実際に自分がその不便な生活を送って見たいと思いました。キューバ人がどのように生活しているのか、私もキューバ人と同じように生活したいと。

キューバへの愛は計り知れないものです(笑)
なので大学の友達はみんな、私=キューバ、そして留学が決まった時すごく喜んでくれました。やっと夢が叶ったね!と。
キューバで生活するには結構お金がかかります。ですがなかなかキューバに行かせてくれる奨学金なんてありません。そこで見つけたのがトビタテでした。

私は最近、大学の先生にお願いし、また頼まれ、留学の経験について学部生に話をしました。その時先生が私に、学部生にどんどん留学に行って欲しいと仰られたので、私がどうして留学に行ったのかについて話しました。
その時に、私がたまたまキューバに出会った状況を話し、「視野を広げて、色んなものを見て読んで、これ好きだ!というものを見つけて欲しい。それは留学だけでなく、大学生活も有意義なものにするから」と伝えました。長期留学を学部時代に辞めた時は、勇気が足りなかったんだと思います。ただキューバに関しては、絶対行くんだ!!と思わせるものがあったので何の迷いもありませんでした!そういう国に出会ったのはすごく大きいことだと思います

 

4つくらいあります。(多)
①完全に自惚れですが、当時自分でNPOや学生団体をしていて、徳島県では非常に珍しい学生だったので「自分が最強」だと思い込んでいたのですが(笑)、逆に自分の無力さも知っていたため、このままだとプライドだけが高くなって破滅すると思ったからです。誰も自分のことを知らない未知の世界で、ちょっと背伸びした環境に身を置きたいと考えたとき、海外なのかなと思い始めました。
②ミーハーなのでまちづくりを学ぶために今流行りの米・ポートランドに2週間だけ留学したのですが、初海外だったのでそれはそれは衝撃的で、自分の中の世界が無限に広がっていくことに快感を感じたからです。
(トビタテ留学もポートランドの予定でしたが、色々拗れて韓国になりました。今では韓国LOVEです。)
③徳島県でいろいろと地域貢献活動をしていたものの、学生が故にスケールが小さくてなにも社会に還元できていなかったので、「もっとインパクトのあることに挑戦して、地域の課題に向き合いたい」と思ったからです。その一歩として、留学を選択しました。自分の大好きな阿波おどりが、自分が知りうる中で一番地域課題を解決するポテンシャルを持っていると判断し、阿波おどり留学をすることに決めました。
④憧れの大先輩・井上 琢斗さんが徳島県で唯一トビタテ1期に合格したからです。これが完全にトリガーとなって、トビタテ2期に本気で挑戦することに決めました。(留学中、彼に直接お礼が言いたくて、彼の留学先のカンボジアにも行きました。一生ついていきます。)
これらが相まって、トビたったわけです。

そして見事に留学で天狗の鼻をへし折られ、今に至ります。
今はリベンジのつもりでプロ阿波おどりダンサーとして海外に挑戦してます。
世界中の人に感動を与え、日本人にも「日本スゲー」と思ってもらえるようにこれからも頑張ります。

 

まず、国際交流サークルの代表を2年務めていた背景があり、過去の代表たちが皆さん留学経験者だったため、心理的ハードルは高くありませんでした。

ある日、ふと留学経験者と話していると、何故か彼らが輝いて見えることに気づきました(留学経験者だからカッコいい、ではなく、カッコいい先輩の話を聞いてたらみんな留学経験者だった、みたいな)。当時は理由がわかりませんでしたが、俺もそうなりてぇ。留学行けばそうなれんのかな。というのが、一番初めのきっかけだったと思います!
危機感や、強い目的なんて、決めた時は一切無かったです。たしかに笑 ニュアンスは「カッコいい先輩たちの話を聞いてみたら」のほうが近いかもしれませんが。ちなみに、参考までにですが、その後に見つけた真のかっこいい理由は、留学という”コンテンツ”にはなく、自分のやりたいことを本音で本気でがんばっていて、それを叶える過程・手段としてみんな留学してた、という文脈でした。何か参考になれば幸いです。

 

商社マンの彼氏ができたからです♡

嘘のような本当の話です笑。修士1年で進路に悩んでいた頃に彼と付き合い始め、すぐに「あっ、私きっとこの人と結婚するんだろうな」と思いました。でも海外赴任の多い商社マンと職の不安定な研究者では、恐らく生涯別居婚。。でも絶対に専業主婦は嫌!!海外どこでも働けて職が見つけやすく、自分の興味に沿った仕事はないかと思い、医学部に編入して英語にも力を入れてきました(それだけが理由ではないですが)。

今となっては私の方が語学面でも海外生活にも適応しており、尻に敷ける準備は万端です!笑。ビビッと来てから5年近く経っているのにまだ婚約にも至ってませんが、万一別れても留学を通じて強くなれたと思いますし、何も問題ありませんトビタテありがとう*\(^o^)/*

 

負けたくなかったし、後悔したくなかったからです。

留学に憧れ始めたのは高校生の頃からでした。お金持ちの多い私立校だったので、先輩、同輩、後輩が次から次へと海外プログラムにヒョイと参加したりして帰ってきて、語学も少しは伸びるし私が見たことのないことをたくさん見てきていて、そんな人が周りによくいるような環境でした。海外旅行にも一度しか行ったことのなかった私は、みんながやっていることを自分ができないなんで悔しくて、高校時代はとりあえず受験勉強をと思い、大学に入ったら絶対留学するぞと思っていました。そんな感じで留学への憧れは募り、、

でもいざ大学に入学した後は、留学すると留年だとか就活に支障が出るだとか色々な問題があると知り、少し尻込みしかけました。そこで、これまでに留学した先輩に聞いたり、大学教授や知り合いの外資系企業の社長さんなどに相談したりしました。そこで頂いた言葉で私の背中を押したのは
「1年留学するというのは、その1年分の経験がプラスされるわけだから、1年伸びるのはいたって自然のことであって、無理に4年に詰めようとする必要はない」
「どんな経験をしようとも、なぜそれをしようと思ったか、それによって何を得たのか、をしっかり自分で納得して説明することができれば企業は評価してくれるだろう」
というものでした。それで留年へのためらいと、留学で専門と違うことを学んでくるという挑戦への踏ん切りがついた気がします。

「留学してみたかった」という人はもうほんとーに多いなと思っていて、でもその「してみたい」を現実のものにする人はほんの一握りなように見えます。私の今の留学も、人の経験を見て憧れるという普通のところからスタートしましたが、他の人がやっていることを自分がしないのは悔しいという負けず嫌いと、やらない後悔をしたくないという思いと、後は相談に乗ってくださった方々の言葉でスイッチ入りました!

 

1年間もの間、トビタとうと強く決意したのは、インターンに行こうとしてたNPOに振られ、家族や親族から、やっぱり口だけか(失笑)みたいな目線が向けられたからです!笑

誰かに乗っかるのではなくて、自分は周りに何もない状況だったら何がしたくなるんだろう、それが本当に関わりたいことじゃないのかなーとボンヤリ考えました。
あと自分の周囲の失笑に対して、「こいつら絶対許さん」と決意したことを覚えてます笑

変なことをたくさん言い続けていたら、家族の中で変な人キャラを確立しつつあるので、トビタテ様々です。

 

私は大学では落ちこぼれでみんなについていけず追試ばかり、体力もないし、このまま目の前のことしか見えないまま医者になることにずっと不安を感じていました。
地域医療をしたいのに、地域に実習に行ったら「女医はだめだ」と否定されるし、せっかく学会で話す機会をもらってもこてんぱんに論破されるし、考えてることは沢山あるはずなのにいつも周りに流されがちだし。。
このまま目の前の勉強におわれて医者になることが怖い、というのが留学休学を決めた理由です。行き先が海外だったのは偶々チャンスと興味があったから、です。
結果は、もう怖いとは思っていません。
忙しくても常に目の前のことに一生懸命向き合っていれば道は開けてくるということを知ったからです。
自分を変えることはできなかったけど、自分のことが前より少し好きになったし、このままでいいんだって思えるようになりました。
でも1番は、とにかく負けず嫌いだったことですかね(^ω^)大学で悔しい思いを沢山できたことがよかったのかもしれません。トビタテ2期で1度落ちたのも火をつけられました。(^ω^)

そんなこんな言っても初めて海外にボランティア行ったのは忘れもしない大学3年のクリスマスでした。3年の春頃に彼氏に振られ引きづりまくりクリスマスも正月も海外逃亡してやる!!!って思ったのがきっかけでそこから海外に興味持ちました(^ω^)失恋ってすごいですね(^ω^)失恋したひとターゲットにするっていかがですか(^ω^)

 

自分の留学へのスイッチは、元をたどれば親への反発、自立のように思います。

これまで多くのことを親に依存して生きていたため、大学に入ったら自分で決めて何かしなければとボランティアに走りました。その中の一つに留学生に対する日本語指導補助があり、海外や留学生といったカテゴリに広く関わるようになりました。ですがその当時、特に留学に行きたいと思ったことはありませんでした。留学生の研修旅行企画や交流会運営をしましたが、事を運ぶことに精一杯だったように覚えています。そんな中でこのポスターを見つけ、面白そうだなと思い説明会に赴くも、2回生の当時はトビタテに収入の壁があり断念。初めての海外は日本語指導ボランティアで踏むことになります。
もう少し長く海外にいたいなと思っていた矢先に、説明会に来ていたことと、留学生支援をしていたことで顔を覚えていただいていたのか、大学の国際交流課の方から収入制限一部解除のお話を頂き、トビタテに応募。今に至ります。

海外に留学生などの人を通じて関わることが楽しかったからここまで来たと言われればそうなのかもしれませんが、海外を目指してこここまで来たというわけではないように考えています。
とても私的な内容ではありますが、留学は自分の人生の経過のひとつとして捉えており、親ではなく自分で自分の人生を描くための画材の一のように思っています。

 

自由になりたかったからです!!!

小学校、中学校、高校と
お友達も出来てとても楽しかったのだけれど
何かがわたしに圧力をかけて縛っているぞ!と思っていました。

学ぶ意味をわからず義務的にさせられる学校の勉強も

日本特有の集団意識の高さからか、周りの目を気にして押し殺さなければいけない環境も

すっごくストレスで
自分の可能性をつぶされているように感じられていました。

ずっとずっと、
『もっと自由に自分を解放させて、好きなことがしたいんじゃーーー!』という暴れたい願望が強かったです。

そんなわたしにとって海外は未知の世界で
憧れと理想と、現実逃避がつまっていました

きっと海外は、本来の自分の可能性をためすことができる場だ!と根拠のない自信をもっていて

とにかくもう解き放たれたかったんです(笑)

実際、いま海外にいる自分は
スーパーで歌うたいながら買い物するぐらいストレスフリーです。

ひろーい世界をみて、多様性を認めれば認めるほど、自分のことが更に好きになれるなあと学びました。 おわり

 

私が海外に興味を持ったのは、オークションの金額でカンボジアに学校を建設する。っていう番組を見たときです。

持病で病院じゃ手術じゃ、リハビリじゃーってなってた自分にとって、日本では弱者で助けてもらってばかりだった自分でも、世界に視界を向けたら、私よりも困っている人がいて、こんな私にも何かできるのではないか?って思いました。

トビタテ!でインドに留学したのは、私の大好きな偉人の一人であるマザー・テレサの伝記を小学生の頃に読んだこと。
そして、宗教も文化も人種も多様性のある世界、そして日本からなるべく渡航費がかからない世界に飛び込んでみたかったからです笑

 

高校一期生です。
元々国際系に力を入れた学校に通っていたこともあり、海外で働くことやボランティアには興味があったのですが、「高校在学中の海外ボランティア」を後押ししてくれたのは、完全にトビタテの存在でした。

元々、早い内に途上国の現状を自分の目で見てみたい、と考えて はいたのですが、その動機としては「自分が学ぶ専門分野やこれから進むべき道を、自分が将来携わりたいと思う現場に今の内に赴くことで、大学進学前の今、見極めたかった。また、逆にまだ知識のないある意味ピュアな高校生だからこそ、そんな私が現地で抱く感情(難しい現実は抜きにしたもの)を大切にしたかった」と言うのが大きかったです。
まとめると、これから国際的に活躍したいという希望に向けて、そのきっかけ、土台となる経験をしたかった、という思いでした。
そんな思いをなんとなくどこかに抱えたまま高校生活を送っている時にトビタテを知り、自分のそんな感情を改めて思い知りました。そして自分の海外ボランティアのプランが、一気に頭の中に立ち上がってきたんです(^ ^)

 

環境を変えるためです。
自分は大学時代は部活と勉強と研究しかほぼしませんでした。
そうなると周りには似たような人が集まり、考えも偏って将来の仕事も周りや先輩と同じような道を辿ることが目に見えてました。
そういった環境に疑問を感じ、一度外を見ようと決意したのが、留学に行くことにした最初の決め手です。
自分が如何に狭い世界で生きていたかが分かったので、行って正解でした。

 

自分の現在地を知りたかった、
あたらしい自分の可能性を見つけたかったからです‼︎

同じ環境にいるとその中だけでの自分に満足してしまいます。自分の場合、大分にいたので尚更です。しかし3年の時に参加した一ヶ月のインターンシップで自己満に過ぎなかったということを痛感しました。まさに井の中の蛙です。
でも留学の決め手は正直金銭面のサポートがかなり大きかったです。今まで行きたくてもなかなかその理由で踏み出せませんでした。そこでトビタテを知った瞬間に「行ける‼︎行くしかない‼︎」と決意しましたね‼︎

※ちなみに私はエンジニア職ですがソフトバンク社員となりましたので、今後何かあればぜひぜひご連絡ください‼︎私がアクション起こしますので‼︎(先日弊社のトビタテ担当の者に会い、何かさせてくれと直談判したところです笑)

 

ここで決めた、というよりかは、Alvar Aaltoというフィンランドの建築家が好きすぎて、絶対に北欧の建築の考え方を盗みたいと思った気持ちを徐々に譲れなくなりました。留学を意識し始めたのは学部2年生のときにサークルの先輩が世界変わるよ!行かないと損するよ!とアメリカ留学後、周囲に叫びまくっていたのがきっかけですね。本当に声のデカい先輩でした、、笑 トビタったのはそれから4年後です。

 

本当の自分を見つけるためです(^_^)どれだけ他人に否定されたとしても挫けない、誰にも譲れない信念を持ちたくて。

私は今まで色んなことに挑戦しては挫折を繰り返してきました。大丈夫と言われていた中学受験は全落ちし、センター試験当日に時計が壊れ体調も崩し、二次試験直前にはインフルエンザ。当時お金がなかったけれど、どうしても医者になりたくて大学に通いながら隠れ浪人しましたが結果は不合格。

どんなに頑張っても報われないことなんていくらでもあるけれど、自分が進むべき道の時は不思議とうまくいくんだと経験的に学びました。それが、看護の道でした。当初、私にとって正直とても縁のない分野だったはずですが、そこで本当に大切にしたい、ホスピス緩和ケアにやっと出会いました。

でも、日本のホスピス緩和ケアの理念は本質とは違う形で導入されており、本当の意味を学び語りたければ本場のイギリスに行くしかありませんでした。私のホスピス緩和ケアの考え方も理解されないことも。どうしても私の問いの答えを知りたかった。世界の流れでのホスピス緩和ケアのあり方を。でも、お金ないし、英語力ないし、そもそもそこまでの覚悟ないし…。いっぱい挑戦しては挫折を繰り返してきましたが、結果が伴わなければ、他人から見れば、所詮、お金の無駄遣い。人と違うことをするのが好きなくせに、人の意見を気にする矛盾した性格の私は、徐々に自信をなくし、私らしさがわからなくなりました。

そんなぐずぐずしていた私にスイッチをつけてくださったのは、国際機関等で活躍される方々との出会いでした。面白そうだなぁとはじめは気分転換のつもりで飛び込んでみた大学のイベントでしたが、とんでもない世界だったようで、急にその時から国際機関のキャリアの方々との接点を持つ機会が増えました。久しぶりに私の夢をお話しした時、彼らに言われたんです、”本当にこのままでいいの?あなたの夢はそんなもんなの?”と。でも…と諦めかけた時に出会ったのが、トビタテでした。しかも、同志もいてすでにイギリスに行ったんだと知って、黙ってはいられなくなりました。どんだけ反対されても、何が何でもトビタテに合格してイギリスに行きたい!そして、帰国した今があるという感じです(>_<)私は間違っていなかった、誰にも譲れないものをゲットして帰ってきました!本当にトビタテがなければ今の私はいません、ありがとうございます!!

 

「クズからの脱却を目指して」ですかね。

高校時代、進学校に行ったものの、成績は下の下でした。英語は国語の次に嫌いなうえ苦手で、赤点を取るほど。まあ、つまらない英語の授業中にずっと寝てたのも原因ではあるのですが(笑) そんな成績の悪い自分は進学校において、かなりバカにされていました。特に、自分のいた弓道部には優秀なやつらが集まってたので、「お前は勉強できないクズ野郎だな」って、毎日のように言われてました。成績が悪いことは紛れもない事実であり、もはやいじられることに慣れてしまった自分は、劣等感を持ちつつも、努力もせずに笑って流してしまう日々でした。

そんな劣等感の塊だった自分も大学に入り、かっこよさそうだし留学でもしてみたいな、なんてできもしないであろう理想ばかり持っていました。そもそも、英語もできず、海外に行ったこともない、グローバルとは無縁の家庭で育ったクズな自分には留学なんて夢のまた夢と思っていました。そんな時、Facebookで高校時代、自分をバカにしていた同じ部活の友人が海外で楽しそうにしている写真を発見。「留学することも先に越され、自分はこのままバカにされ、負け続けるのか…」なんてことを考えると、沸々と悔しさと見返してやりたいという気持ちが湧いてきました。人にアピールできて、そこそこインパクトのあることを考えた時、それは留学することが手っ取り早いと思いました。

けれど、いきなり抱え込んだ劣等感を払拭することもできるわけもなく。短期の留学に行く一歩を踏み出せないでいるときに、たまたま会った高校時代の塾の先生に言われたことで留学をする決意ができました。それは「最近の若者は何でも自分で自分の可能性を潰してしまう。最初から無理だと言って、やる前から諦めてしまう。まず、やってみろ。」と。それ以来、トビタテを含め、やりたいことに挑戦するようになりました。

見返してやりたい、絶対に負けたくないというハングリー精神を持ってここまでやってきました。とはいえ、留学したからクズを脱却できたという気持ちもなく、逆にトビタテに合格してから、すごい人をたくさん知ることで、自分はまだまだダメだな、と思ってしまうわけです。
ということで、一概に成績や成し遂げたことで人を比べられるわけではないですが、自分はクズ脱却の手段として留学を選びました。

 

天気が良かったからです。

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ぼくの留学先はカリフォルニアです。ぼくが留学先をヨーロッパにしなかった理由は、寒いのが嫌いだからです。場違いな解答だったからか、この質問をグループで聞いてきた人は、解答してくれた人1人1人に返信している中、ぼくだけ返信されませんでした。悲しいですね笑。

みんな、いっぱい考えていてすごいな〜と関心しました。失恋がきっかけの人が多いのは意外でしたね笑。

結論として、留学を決める理由なんて人それぞれのようですね笑

 

誰にも共感してもらえなくたっていい、あなたが、留学を決めた理由はなんだろう?

この人に留学相談したい方は、Diverseasからどうぞ