大学生になって感じた、違和感を辿って。

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大学生になって、違和を感じずにはいられないことがあった。

 

主に、“意識高い”と“総合職”の 2 点に対してである。

 

1 つ目は意識が高いという言葉である。「あの人は意識高い系」と煙たいという印象を持ってカテゴライズされたり、「意識高くてすごいね」ととりあえず褒める時の便利ワードとして使われたりする。

 

私は大学進学前、大学生とは、また大学に進む人とは皆、意識の高い人なのだろうと思っていた。義務教育は中学までだし、その後、高等学校に進んで、専門学校や短大に行くでもなく、四大に進学する意思を持つ人たちは、きっと皆学術的でないにしろ、態々大学に進む、何かしらの目的意識だったり、学習・研究意欲だったりを持っている人なのだろうと考えていた。

 

私は、大学に行くということからは程遠い両親、親族、友人の元で育った。私にとって「大学に行く」というのは、選んで決めることであって、将来の 選択肢のデフォルトではなかった。ところがいざ大学に進学してみると、多くの人が「どこの大学に行くかは置いといて、大学の行くのは当たり前」と捉えていて当惑した。

 

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また、彼らの多くが、「できるだけ良さそうな会社に行きたい」というビジョンをぼんやりとではありながら持っていることにも驚いた。その“良さそうな会社”でやりたいことというのもはっきりせず、できれば“すごそうなこと”がしたい、あるいは楽そうなことがしたい、人並みに働けば良い、というすごく曖昧な将来像を描いていた。

 

例えば商学部に進めば、経営に関わりたいだとか、親の仕事を継ぐつもりだ、会計士になりたい等、そういったビジョンを持つ人が多くいるのだと思っていた。

 

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大学生のビジョンに加え、企業が“総合職”という枠で 採用をするのが普通であるというのも、私には謎だった。(大学進学するまで総合職という採用枠の存在を知らなかった。)

 

職種を選べないのであれば、学生が職業、職種ベースではなく、会社ベースで将来を考えるのも自然だと感じた。せっかく4 年間以上の時間を高校卒業後にかけているのに、その後の職に直接活かせないというのが解せなかった。社会人と話をする時にも「私は大学で文系でしたが、 今は理系の仕事をしています。」だとか、「僕は大学での専攻は理系でしたが、仕事は全く関係なくて、どちらかというと理系です。」、「大学での専攻で仕事が決まることはないです。」等聞いていて違和を感じた。大学生活とはなんなのだろうか。

 

学術的なところの外にも価値があるとの声もあるが、別にそれは大学生でなくとも、フリーターでもできることだろう。聞こえがいいか悪いかくらいの違いだろうと思う。

 

 

 

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