静かな草地・柔らかい感性・南の国の夢 

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こんにちは!トビタテ留学JAPAN 2期生、多様性人材コースの中井りつこです。

具体的な私の将来ビジョンはまた別の場で紹介することとして、
普段はトビタテの仲間たちにもあまり話したことのない、けれど事あるごとに自分の心の中でリフレインしている思いについて今日は書こうかと思います。どうぞお付き合いください。

 

飛火野にて

このリレー記事の指名をもらった翌日、私は早朝から奈良公園のあたりを訪れていました。
留学に際し、ご縁があって奈良市の観光大使という光栄な役目をいただいたこともあり、もっと奈良のことを知りたいという思いからでした。

奈良公園の東、古来より神域とされてきた春日山原始林のはずれに、飛火野と呼ばれる、若草の野原が広がる一帯があります。
まだ観光客の姿もない、しんとした朝の空気の中、私は自分の留学についてもう一度考えていました。

私の留学計画は、簡単に言えば「海外で日本語教師として活動し、日本語や日本の文化、芸術の魅力を伝えて自国のソフトパワー強化に貢献する」ということです。

 

大切なことは、心が動くこと

そこで大切にしたいことが、それは単に情報を伝達する作業としてではなく、必ず「感動を伴う体験」として在りたいということです。
別に大仰なものでなくていいけれど、どんな形であれ、人の心に触れるものでありたい。

私が「感動」や「感性」にこだわるのは、幼いころから演劇やバレエといった舞台と関わってきたからということがあるのかもしれません。
あるいは、素晴らしい文学や芸術に触れたあとには、まるで眼鏡のレンズを取り替えたみたいに、世界がそれまでとはまったく違って見えはじめるという体験をしてきたためかもしれません。

原点の在り処がどこであれ、私はひとのモチベーションを支配するいちばんの根っこにあるものは、感情の動きだと思うのです。
誰しも、理屈ではなくて、わくわくしたり、心打たれて涙したり、そして時には悔しさに唇を噛んだりしたことが原動力となって、何かに向かって動き出したという経験があるのではないでしょうか。
感動というのは、非常に純粋で、しかもとても強いエネルギーだと思います。

だから、「感情が動く場やものをつくりだす」ということが私のテーマであり、夢です。
みなさんは「感動」と聞いていま何を思い浮かべるでしょうか。スポーツ?映画?それとも、音楽や本でしょうか。
私は……

 

静かさを味わう・集める

ちょっと空気が動いたように感じてふと向こうの方に目をやると、いつの間にやってきたのか、朝もやの中に鹿たちがきれいな夏の毛並みを朝陽に輝かせ、まるで神様の使いのようにたたずんでいました。

群れの方に少し歩み寄って木になった気分で静かにしていると、鹿たちが草を食む音が聞こえはじめます。
なんとも心打たれる光景です。
とても神妙な気持ちで、私はその様子を眺めていました。
いっしょにとなりにいた人が言いました。
「奈良の、いや奈良だけじゃない、日本特有の魅力は動ではなく静なる美だ」

私が今、関心を向けているのは静の内にある感動です。わび、さび、枯れ、それから場合によっては畏れというふうに言い換えることができるのかもしれません。しみじみと、静かに感じ入ることができるような、持続性のある感動です。

そういった種類の感動は、世界にもそれほど多くは見られないものではないでしょうか。私は、それは広く伝える価値があるものだと思うのです。
そんな感動を採集して、そうしてもちろん時には自分でアレンジを加えて、発信していきたいと思っています。

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写真引用元:http://ganref.jp/m/revoir/portfolios/photo_detail/5a4c2a303ad17ccefd52696d901e70d7

繰り返される営みと、受け継がれるもの

私がいる飛火野はだんだんと朝の青みを薄め、日差しが強さを増してきました。
じきに陽が高く昇って、この厳かな雰囲気は魔法のように消え去り、いつもどおり昼間の喧騒がやってくるでしょう。
夜が訪れて人通りも絶えると、鹿たちは暗闇に目を光らせ、まるで日中とは別の生き物のように一心不乱に檜皮を剥き、芝を食べ始めるのです。そうしてまた朝がやってきて……

私が海外に日本文化を、それもインスタントなもののみならず、いわゆる伝統的な文化を発信したいと願うその思いの根底には、映像としての風景、プロダクトとしての文物自体に対して魅力を感じている以上に、その背後にある、過去から連綿と受け継がれてきた、心のつかい方や感性の在り方というものへの憧憬に近い感情があるように思います。
現代人である私自身がそれを失いかけていることへの焦りと危機感もあるのかもしれません。

私に民俗学への興味と、日本を見直すきっかけを与えてくれた明治の文筆家の一人、ラフカディオ・ハーンは、この国のホスピタリティや繊細な芸術、人々の慎ましい暮らしの在り方について本を著しました。
そして、彼の生徒たちに「どんなに新しい日本が変わろうとも、ものの考え方が時代とともにいかに移り変わろうとも、その気高さと清らかさを失わないでほしい」と伝えました。

初めて彼の著書を読んだときの感動は、そして8月初めに舞台となった島根の地を訪れて、淡いながらまだその心が息づいていることを確認したあの日は、今も私のモチベーションとなっています。

 

出国を間近に控えて

この記事を読むみなさんは、きっと大いなる熱情を抱いて、世界に羽ばたこうとする方々だと思います。もちろん私もその一人であるとの自負と矜持を持っています。

しかし、大きなことに目を向けはじめると、おとなしい美に気づいたり、感動したりすることができなくなってしまいがちです。
声高に叫ぶことばかりに懸命になると、ほんとうは同じ場所で響いている、小さな音が聞こえなくなります。
高いはしごにのぼって世界を見ていると、足元の芽吹きには気づきにくいでしょう。
理に走りすぎると、やわらかな感性を失います。

もっと色彩豊かで厚みのある人生を生きるために、すべての人にどうかみずみずしくて柔軟な感性を持ち続けていてほしいと、自戒も込めて思うのです。

 

あと数週間もすれば、私は春を迎えはじめた南半球の大地に立っているはずです。
そうして、教室の扉をあけて……

たくさんの感動を積み重ね、また私もつくりだしたい。この留学に限っての話ではなくて、これから先、ずっとです。
それでもまずは、ここから。
まだ見ぬ異国の地を想いながら、筆をおこうと思います。

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