地雷・不発弾処理の実情を学ぶと共に、朝鮮語を学び、自らが日朝韓の懸け橋の一つとなる

11068779_10203452670911824_1477827386_n-300x225

ホホウ! 本日の更新は竹田 響(新興国コース/カンボジア・韓国)さんの日本代表選手紹介記事です。パレスチナの危険性ゆえ渡航中止となり留学計画を大幅に変更した彼。しかし、根底にある「平和構築」への思いには変わりがありませんでした。要チェック!

皆さんはじめまして、こんにちは。 トビタテ留学JAPAN1期生の竹田 響と申します。

私の関心は平和構築と人道支援の分野にあります。今日においても、紛争や戦争状態があちらこちらで発生し、また一度そのような状態になると、国益や利権といった様々な思惑が渦巻き、なかなか終息させることができません。

とはいっても私たちは地球に住む同じ人間同士。どのようにすれば『共生』することができるのか、このヒントを学ぶために、トビタテ留学JAPAN!を活用することにしました。(記述:2015年3月)

 

1、自己紹介

2、留学の目的・留学先でやっていること

3、応募時の計画

4.留学計画の変更

5、帰国後と今後

6、コンタクト

1.自己紹介

■竹田 響(たけだ ひびき)

■トビタテ1期生 新興国コース カンボジア、韓国

■留学先:日本地雷処理を支援する会(JMAS)プノンペン事務所延世大学韓国語学堂

■所属:中央大学 総合政策学部 国際政策文化学科(2015年度 新4年生)

■出身:神奈川県 出身高校:私立桐光学園高校

■関心:平和構築・人道支援・多文化共生

■好きなこと:人と話すこと、人に喜んでもらうこと

 

2.留学の目的・留学先でやったこと

「地雷・不発弾処理の実情を学ぶと共に、朝鮮語を学び、自らが日朝韓の懸け橋の一つとなる。」

 

11068779_10203452670911824_1477827386_n
写真:防護服を着て地雷除去のレクチャーを受けている所

■日本地雷処理を支援する会(JMAS)プノンペン事務所

今日、世界中には1億個以上の地雷が埋設されています(正確な数は誰も知りません)。多くのDeminer(地雷除去者)の方々の努力により、毎年10万個程度は除去されていますが、今日でも新たな地雷が埋設されている場所があるといわれています。

これらに予期せず触れてしまい、手や足を吹っ飛ばされてしまうという方々が今日も沢山いらっしゃいます。日本にいる限りでは、この事実を想像する場はありませんが、もし自分が住んでいるすぐ近くにこのようなものが埋まっているとしたら、どう感じるでしょうか。そこに住んでいる人々にとってはごく当たり前の日常になってしまっているのかもしれません。しかし、誰しもが自分自身は傷つけられたくなどないと思っています。これは地雷に限ったことではありませんが、傷つけられた本人はもちろん悲しく悔しい思いをしますが、家族や友人など、その周囲の人々にも悲しみややりようのない怒り、憎しみが生まれてしまうのではないでしょうか。この悲しみの連鎖に少しでも歯止めをかけたい、というのが私の関心の根源にあります。

地雷・不発弾の処理を行っている団体の一つに「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」があります。今回は今日でも非常に多くの地雷・不発弾が残されており、しかも埋設されている場所の記録がほとんど残っていないカンボジアを渡航先とし、JMASのプノンペン事務所でインターンを行いました。

■延世大学韓国語学堂

カンボジアに滞在した後、韓国に移り、現在は朝鮮語を学んでいます。この理由については、以下4.で詳しく記述します。

 

3.応募時の計画

カンボジアと韓国に短期で留学している私ですが、実は当初は、現在とは全く違う計画で合格をもらっていました。
それは「ウガンダとパレスチナにあるNGOでインターンをする。」という計画。

ウガンダ(元児童兵の社会復帰を支援しているNPOでインターン)
→パレスチナ(保健福祉の支援をしているNPOでインターンをしながら、壁の中での生活を強いられている人々の実態を学ぶ)

元々民族問題に関心を抱いていた私は、パレスチナ問題に大きな関心を抱いていました。

私は2014年度の1年間、「(特非)日本国際ボランティアセンター(JVC)」の東京事務所でインターンをしていたのですが、
たまたま同団体にパレスチナ事務所があったことから、現地でのインターンに際して奨学金の支援をいただくことを考えました。

それに加えて、幼少期に戦争に加担せざるを得ない状況下におかれた人々が社会復帰する時、周りのコミュニティーはどのように
それを受け入れるのか、また外部団体はどのように手を差し伸べることができるのか、という点に着目し、ウガンダに事業地が
ある「(特非)テラ・ルネッサンス」でインターンとして学ばせてもらいたい、と考え、ウガンダとパレスチナ、合わせて
2か月間の渡航(2015年2月~3月)を計画し、トビタテに応募、合格しました。

 

4.留学計画の変更

■大学から渡航中止を求められる

合格はいただいたのですが、その後が一筋縄ではいきませんでした。

まずインターン先の一つとしていた「(特非)テラ・ルネッサンス」には、2014年8月に別の機会があり直接渡航してしまったのでした。訪問できたのは良かったのですが、現地には訪問したものの、特別な技能や専門分野も特段持ち合わせていなかった私には、多くの学びはあっても、見学の延長で終わってしまい、できることはあまりありませんでした。このことから、短期間のうちに二度そこに赴いても、できることはあまりないのでは、と考えていました。

その上、渡航が目前に迫ってきた2014年11月末、大学から安全上の問題を理由に、パレスチナへの渡航中止を求められたのでした。「壁の中で暮らさざるを得ない人々の暮らし」から、民族対立の構図とどのように解決に導いていくことができるのか、そのヒントを学びたいと思っていた私ですが、パレスチナへの渡航が出来なくなったことで、計画を一から練り直す、もしくはトビタテを辞退する、の二択を迫られました。

 

■関心の変化 ~パレスチナ問題から在日問題へ~

また、私自身の関心も、パレスチナ問題から在日問題へと重きを置く比重が変わってきていました。学部3年となり、卒業論文のテーマとしてパレスチナ問題を考えていたのですが、それまで自分自身が入域したこともない場所でもあり、既存の文献の寄せ集めになってしまうのではないか、という思いを抱いていました。そんな中、2014年8月に私は平壌に渡航し、平壌外国語大学で日本語を学んでいる同い年の学生たちと交流する、という貴重な機会に恵まれました。その時に同い年の在日コリアンの友達と一緒に渡航したのですが、それがきっかけとなって、在日問題に関心を抱くようになりました。

朝鮮民主主義人民共和国(以下DPRKと表記)と日本は今日においても国交を結んでおらず、日本人がDPRKに入国することは容易なことでは残念ながらありません。また、朝鮮にルーツをもつ、いわゆる在日コリアンの人々は、自身が国籍を有する国には入国できますが、もう一方に入国することは非常に難しい(2015年3月現在)という現実があります。良くも悪くも私自身は外国人である日本人であるからこそ、両方の国に入国することができるのです。

それまでは全く関心がなかったのですが、日本社会が今日も抱える問題に、マジョリティの日本人の側からアプローチをしてみたいという思いが強くなり、朝鮮語を学ぶ事にしました。

 

(参考:留学の理由~計画変更時の書類より原文のまま~)

私は平和構築と人道支援に強い関心を抱いており、その中でも紛争下で生活を余儀なくされた人々、特に子どもの心理的影響と、その子どもが親の世代になった時の子どもへの影響などに関心を抱いている。これまで発展途上国として分類されている国々の中では、ガーナ、トーゴ、エチオピア、ベトナム、ラオス、朝鮮民主主義人民共和国、ウガンダに渡航する機会に恵まれた。当初は平和構築と人道支援の分野にある一方で、これまで避難民などが発生している紛争当事国と、その後の外部支援者によって支援が行われている現場のフィールドサイトに足を運んだことは一度も無く、日本で学ぶだけでは机上の空論でしかない、という思いを抱いていたことから、この「トビタテ!留学JAPAN」の派遣プログラムを通じて実際に国際問題として大きく問題視されている紛争が起こった現地に赴き、現地でインターン、ボランティア活動、学習と3つのフェーズを通して学ぶことを計画し、ウガンダとイスラエルへの渡航を希望していた。しかしながら、イスラエルで訪問を予定していたガリリ・インスティテュートが春季には学修プログラムを実施しないということが11月半ばに判明したほか、11月末には昨今の治安の悪化に伴い、中央大学がイスラエルへの派遣中止を正式に決定したため、当初の計画の実行は非常に不本意ながら断念せざるを得ない状況となった。また、ウガンダで訪問を予定していた特定非営利活動法人 テラ・ルネッサンスには、今夏インターンとして訪問したのだが、施設を一周見学するに留まり、インターンとして深い活動をすることは出来なかった。これらの要因から、より平和構築の分野(特に紛争後の社会開発のフェーズ)を深く学ぶことができる計画を、一から練り直すこととした。
これまでどちらかというと、自分の日常生活とは少し離れた地域における紛争(当初計画していたウガンダ、パレスチナ然り)を見ていたのだが、大きなターニングポイントとなった出来事が今年の夏に起こった。朝鮮民主主義人民共和国(通称北朝鮮、以下DPRKと表記)・平壌への渡航である。
今夏、私は平壌外国語大学で日本語を学ぶ、同い年の平壌に住むDPRKの大学生の学生交流を行う機会に恵まれた。DPRKは私にとってまさに「未知の国」であった。日本にいる限りではミサイル問題、拉致問題、もしくは飢餓を含む、極度に住民が人権を侵害されている様子を時たまニュースで目にする程度で、DPRKに住む人々の生活を想像することは難しかった。そんな中でDPRKに渡航し、平壌に住む私と同い年の大学生と交流する、という経験自体が非常に貴重な経験だったのだが、この時、私にとって更に刺激的だったのが、同い年の日本に住み、朝鮮にルーツを持った友人、いわゆる在日朝鮮人と呼ばれる人と出会ったことであった。
きっかけは羽田空港を彼らと共に出国する時だった。私と同じように日本で生まれ、日本で育ち、(朝鮮学校に通っていたので朝鮮語も話せるのだが)日本語をわたしと同じように使っている彼らの手には、パスポートではなく「再入国許可証」というものが握られていた。中を見せてもらうと、裏表紙に「この証明書は何ら国籍を証明するものではない」と但し書きがしてあるほか、私と同じように日本で生まれ育っているにも関わらず、日本政府から「上陸許可」をもらわなければ日本に戻ることができない、この事実を知り、もしも私が彼らと同じ立場であったら、大きな憤りを感じると思ったことがきっかけとなり、日本社会が抱える民族問題として、いわゆる「在日問題」にフォーカスを当てるようになった。
恥ずかしながら、それまでこの問題に深く関心を抱いたことは無かった。私の周囲には韓国名を名乗っている知人は何人かいたもののごくわずかであり、しかもその彼らとこの問題について深く議論をしたことなど一度も無かったのである。しかしながら、平壌のホテルで夜、彼らの「祖国」に対する思いや彼らと私自身のアイデンティティについてお酒を飲みながら語るという経験を通して、日本社会が戦前から今日まで抱える一つの大きな問題として、問題意識を抱くようになった。
この問題について調べていくと、いわゆる在日朝鮮人の側から見た記述は比較的多くみられるものの、日本人が論じているものが非常に少ないことに気付いた。私は、在日3世、4世となっている私と同世代の朝鮮にルーツを持ち、日本で暮らしている人々のアイデンティティと今後私たち日本社会がどのようにこの問題に対処していくのか、という面からリサーチを行いたいと考えるようになった。ここで立ちはだかってきたのが言語の問題である。彼らは日本語と朝鮮語のバイリンガルであることも多く、日本語と朝鮮語を高度にスイッチさせながら会話を行っている。しかしながら、私は現段階では日本語と英語しかディスカッションレベルでは理解することができず、彼らと心情を語り合う場面において、朝鮮語を用いて会話をしたいという思い募っていく一方であった。そこで、今回は、より高度な朝鮮語を学ぶために、語学留学を組み合わせることにした。

 

5.帰国後と今後

■平壌への渡航

3月末に日本に帰国しますが、今年8月に再度、平壌を訪問する予定になっています。朝鮮語もまだ初級レベルで、自分が思うようには話すことができません。語学の勉強と共に、在日問題についても理解を深めていきます。

 

■進路

4月からは学部4年に進級しますが、一般企業への就職は考えておらず、国際援助系の機関と大学院への進学を考えています。まだ将来が見通せる段階には至っていませんが、今回の留学で、専門家というよりはいわゆるジェネラリストになりたいのではないか、と考えるようになりました。今後も勉強を続けながら、自分がどの視点から平和構築分野の一翼を担っていくことができるのか、考えていきたいと思っています。

平和構築の分野に関心を抱いている方、朝鮮に関心を抱いている方などいらっしゃいましたら、

ご連絡いただけましたら嬉しいです。

トビタテの仲間の方も是非…!

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

留学相談したい方は、Diverseasからどうぞ