リンツからのトビタテ便り4 −ドナウ川の畔で宇宙を考える

ホホウ! 本日の更新はリンツからのトビタテ便り4 −ドナウ川の畔で宇宙を考えるです。連載の最終回は、宇宙芸術の彼女の過去について。芸術とはむき出しの自分と向き合うこと。

トビタテ便りとは

トビタテ便りの詳細についてはこちらのページをご確認ください。世界中に留学しているトビタテ生から、週に1度1ヶ月の短期集中連載を行ってもらっています。ルールは2つ。「留学先の写真を載せてもらうこと」と「普通の友達には話せないような濃ゆい専門の話を思う存分ぶちまけてもらうこと」です。

6月のトビタテ便りも3人のトビタテ生に描いてもらっています。書いて頂いたのは田中ゆりさん。本日の便りは宇宙芸術。最早その言葉からはどんなものか想像もつきません。その好奇心を満たすためには、この記事を読むしかなさそうです。

これまでの連載記事   

本文

第四章:宇宙、芸術、人間

留学をするとき、わたしたちは否応なくことばの壁というものに直面する。おそらくこの文章を読んでいるいくらかの人々も、悔しい思いや切ない体験を経たことがあるのではないかと思う。

たとえば、思うようにことばを発することさえできないとしたら、どうだろうか。私は生まれもって口蓋に亀裂をもち、記憶にはないが一歳半で手術を受けたらしい。それによって正常な発音で話すことができず、小学校を卒業するまで言語治療に通った。その後から現在にいたるまで、咀嚼機能を補正するために矯正治療を受けている。しかし、幸いにも素晴らしい先生方に治療を受けることができ、現在はそれを克服したと明からにしたい。
病気と障害の異なるところは、特定の症状が消えることはなく、一生をともに過ごさなければならない、という点にある。自分の力ではどうにもならない生涯の因子をいかに自らの強みに変容させていくか。これまで果てしない苦しみや努力を重ねてきたことも、確かである。

人と話すことが怖くてたまらなくて、辛いこともたくさんあった。しかし、いまこうして私は、異なる国で異なる言語を話し、多様な文化背景の人々とコミュニケーションを編み上げながら、充実した日々を過ごしている。思えば、紆余曲折を経た末に芸術に行き着いたことも、必然だったのかもしれない。おそらくコミュニケーションへの切望が、私を芸術に導いたのだろう。なぜなら、芸術を通じて、私は人や宇宙とつながる喜びを見出すことができたから。そしてコミュニケーションをすることは生きる意味を生み、生きることやコミュニケーションは、芸術になりうると気づいたから。
芸術を営む折、人間は一糸纏わぬ心にならざるをえず、人間が一個の生命として表現することで、作品は創造され新たな人と出会い、心身の生命的な触発が生み出される。それは、宇宙と芸術と人間がつながる瞬間でもあるのだろう。
人というものは、かくも豊穣な生きものである。思惟し、共感し、愛し合いながら、生きていくことができるだから。

「思いを伝える手段がないとういことがどんなことなのか感じたことはありますか?[i]
「ことばがどれだけ人間の尊厳に深く関わるものなのかを考えたことはありますか?[ii]

それらがどのようなことなのかを最も理解してくれたのは、言語聴覚士の高見観先生だった。先生は私に人として生きるすべを教え、人として生きることの喜びを、教えてくれた。

ずっと私を見守り、希望をくれた高見先生に、ずっと伝えたかったことを、いまここで伝えたい。

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[i] 愛知学院大学大学院心身科学研究科, http://www.agu.ac.jp/~psycgrad/kenko/kyoin/kyoin_takami.htm
[ii] ibid.

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