ストラスブールからのトビタテ便り2 -哲学者は役に立つ日の夢を見るか-

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ホホウ! 本日の更新はストラスブールからのトビタテ便り2 -哲学者は役に立つ日の夢を見るか-です。今回のお話は「何かを選択するということは、価値基準を選択するということ」について語ります。導かれる結論は「無限後退」!?

トビタテ便りとは

トビタテ便りの詳細についてはこちらのページをご確認ください。世界中に留学しているトビタテ生から、週に1度1ヶ月の短期集中連載を行ってもらっています。ルールは2つ。「留学先の写真を載せてもらうこと」と「普通の友達には話せないような濃ゆい専門の話を思う存分ぶちまけてもらうこと」です。

6月のトビタテ便りも3人のトビタテ生に描いてもらっています。本日の便りは、政治哲学の中川さんから届いています。「哲学って役に立たないよね」という人にこそ読んでほしい連載です。

これまでの連載記事 

外で遊ぼうか、それとも家で本を読もうか

唐突ですが子どもに二つの選択肢を提示してみるとしましょう。男の子かもしれないし、女の子かもしれません。どんな回答が返ってくるでしょうか。もちろん答えは「その子による」になるわけですが、一体この時その子の中ではどのように意思決定が行われているのでしょうか。

これは一般化すると、複数の選択肢から1つの選択肢を選ばなくてはいけないという状況です。スターバックスでマンゴーパッションと抹茶フラペチーノのどちらを頼むかも、そのサイズを何にするか選ぶ時も同じことです。(あるいはSやLと指定するのか、はたまたグランデやトールと言って頼むのかについても)

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よくアスファルトに寝転んでいる小さい猫

人は「より良い方」を選ぶ

このような状況では、頭の中で「評価軸」を使って選択肢を吟味する必要があります。例えばボールを使った遊びが好きなら外で遊ぶ方がより良いのでそうするでしょうし、汗をかくのが嫌いなら家で本を読む方がより良いのでそちらを選択するはずです。

ここで重要なのは、「どんな評価軸=価値基準を用いるか」です。先ほどの例で言うと、「ボールを使った遊びがより良い」と「汗をかかないほうがより良い」が価値基準に当たります。

より複雑な選択について考える

さて、それではもう少し選択が難しそうなものも考えてみましょう。例えば好きなアーティストの新しいアルバムを購入するか、レンタルに出るのを待つかという状況はどうでしょう。(Mr.Childrenの新譜が出ましたが1万円近くします…)。

この時、いくつかの前提を設定します。
1.購入するよりもレンタルのほうが安い
2.購入する場合レンタルよりも早く聞くことができる
3.購入するとずっと手元に置けるがレンタルには返却義務がある

ここから、いくつかの価値基準を導くことが出来そうです。「1.安いほうがより良い」「2.早く聞けるほうがより良い」「3.手元にずっと置けるほうが良い」といったところでしょうか。他の価値基準も導き出せそうですがこのくらいにしておきましょう。(例えば、高い方を買ったほうが好きなアーティストに貢献できる=より良い! という感覚の人もいるかもしれません)

この時、どの価値基準を取るかによってそれぞれ「より良い」が変わることがわかると思います。1ならレンタル、2と3なら購入がより良い選択肢のようです。

ブラッシングをされて喜ぶ丸い猫

ブラッシングをされて澄まし顔の丸い猫

無限後退する価値基準

ここで問題になるのが「複数の価値基準の中でどの価値基準をより良いと考え選択=優先するのか」です。これはつまり、複数の選択肢から1つの選択肢を選ばなくてはいけないという状況。すなわち、「外で遊ぶか家で読書するか」ということと本質的には似ているようです。

この時、私たちは「より良い」を求めると言いました。なのでこの場合も、「より良い方の価値基準を選ぶ」わけですね。ここで例えばこんなメタ価値基準で選ぶことが出来そうです。A.「より多くの価値基準でより良い方がより良い」あるいは、B.「数ではなくて価値基準の重要性を考えた上でより良い方が良い」というのはどうでしょう。

この場合、Aのメタ価値基準を適用すればアルバムを購入するのが「より良い」と言えそうです(早く聞けるし、手元に置ける)。そしてBを適用すれば、貧乏なNくんは値段が最も重要な価値基準だと判断し苦渋の選択としてレンタルを選ぶことになるでしょう。

そしてもちろん、このままだと選択することが出来ないのでこの場合もメタ価値基準であるAとBの「どちらがより良いか」を判断するための新たなメタメタ価値基準が必要になりそうです。おわかりかと思いますが、これには終わりがありません。

哲学の一分野であるところの論理学では、このような言葉があります。「無限後退」(連載の趣旨から外れますが、このように、ある状況などを綺麗に言語化・概念化することも哲学の重要な役割でしょう)

およそあらゆる論理はWikipediaの「無限後退のページ」から引用するとこのような結末に陥らざるを得ないという悲しい現実が存在しています。

ものごとの説明、正当化の連鎖は、究極的には説明なき原理もしくは独断を終点とするか、または循環論法に入るか、または無限後退に陥らざるを得ない、と考えられる。

ここでは「論理的である方がより良い」という価値基準を選ぶことすら許されないのですから皮肉なものです。「なぜ論理的である方がより良いのか」の説明が求められるからですね。

今後の連載の予定

さて、前回は「そもそも何かを役に立つか否か評価するための前提とは何か」について話し、今回は「何かを選択するということは、価値基準を選択するということ」についてお話しさせていただきました。次回は、この無限後退に迫られる中で人はどうやって価値基準を選択するのかについて、そして少しずつ政治哲学の話に移っていくのでどうぞよろしくお願いいたします。

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現在トビタテ生30人と協力して、知の見取り図プロジェクトを進めています。様々な分野(ドイツオペラから子供の感情制御まで)で本気で勉強している人が作る本棚を公開・共有するサービスです。簡単な本から難しい本まで読む順番も含めて紹介してくれるので、何か新しいことを学びたいと思った時の、その一歩目のハードルを大きく下げることが出来ます。公開間近なので気になる人は是非。\

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