リンツからのトビタテ便り1 −ドナウ川の畔で宇宙を考える

ホホウ! 本日の更新は6月のトビタテ便り第一弾「リンツからのトビタテ便り1 −ドナウ川の畔で宇宙を考える」です。なんと留学テーマは宇宙芸術! そもそもそれってなんなんだ!? ホホウ!?

トビタテ便りとは

トビタテ便りの詳細についてはこちらのページをご確認ください。世界中に留学しているトビタテ生から、週に1度1ヶ月の短期集中連載を行ってもらっています。ルールは2つ。「留学先の写真を載せてもらうこと」と「普通の友達には話せないような濃ゆい専門の話を思う存分ぶちまけてもらうこと」です。

6月のトビタテ便りも3人のトビタテ生に描いてもらっています。書いて頂いたのは田中ゆりさん。本日の便りは宇宙芸術。最早その言葉からはどんなものか想像もつきません。その好奇心を満たすためには、この記事を読むしかなさそうです。

本文

第一章:宇宙芸術と思惟

宇宙とは何かを考えるとき、心がとても自由になるように感じたことはありませんか。果てしなく壮大で、果てしなく美しい。そしてまた、時として少しの畏怖さえ感じてしまうことはありませんか。

宇宙と対峙するとき、私たちは必然に生命としての自身に向かいあう。それは、宇宙に生きる生命としての自己に気づく瞬間でもあるのかもしれない。

宇宙を生命と捉えると、人も自然も人工物も、すべては「宇宙のリズム[i]」と呼ばれる、宇宙が生み出す秩序のなかで循環している。それはまるで、同じ海のなかで共生しているようなものだ。絶え間なく起こる波はいつも異なって、いつも類似している。地球が自転と公転を繰り返し、宇宙の法則のなかで流転をつづける。人もそうしたリズムとともに目覚め、眠り、生死の波とともにある。人が宇宙とともに生きているという自覚をもつことは、至極シンプルであり、至極困難でもあるだろう。

眼前に映る現実は、見立てられた現実のなかに自分自身をおき、それを鏡に投影したイメージのようなものである。では、私たちは何を真として、何を偽とするべきか。宇宙の真理は誰も知りうることのない究極である。しかし、近接することは、決して能わざることではない。宇宙の真理のかけらにふれることは、それに向かおうとする意志と、研ぎ澄まされた心と技によって可能になる。人間がもつ心の本質は、生まれながらにして宇宙の真理に向かっているに違いない。

芸術は、人為によって生み出される宇宙の創造的表現でもある。そしてつくられる芸術は、人が時間的あるいは空間的に触れられるものであるだろう。宇宙とともに生き、宇宙とともに消えていく。それは人も芸術も同じであり、生の営みのなかに発見されうるものではなかろうか。傍らの花を愛で、幽玄の琴を鳴らすように。

単一のなかに見出される感動はなく、多様のなかに人は生命の躍動を見出す。人類の多様性と独創性、宇宙の普遍性が混じりあう時空のなかで、我々は一体何を垣間見るのだろうか。

宇宙芸術の試みは、宇宙から自身を捉えなおす思考のコペルニクス的転回となり、新たな表現の創造となる。そしてそれが希望の光明となることに、思いを馳せて。

古より源流をともにする科学と芸術が再び出会い、歩み始める宇宙の旅がいままさにはじまろうとしている。

いつもすぐ傍にある、宇宙と芸術。宇宙芸術への思惟と創造によって、宇宙への感性を再興し、宇宙、芸術、人間の連関を紡いでいく。


[i]
cf. Ludwig Klages『表現学の基礎理論』(千谷七郎訳)勁草書房, 1964.

留学相談したい方は、留学codeからどうぞ