ウィーンからのトビタテ便り2 〜アリアドネの糸を追って〜

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本日の更新はウィーンからのトビタテ便り2 〜アリアドネの糸を追って〜です。オペラの劇場やマナーは時代と共に移り変わり、それは常に慣習との緊張関係にあったといいます。奥深く濃すぎる、芸術の都ウィーンからの便りを要チェック!

トビタテ便りとは

トビタテ便りの詳細についてはこちらのページをご確認ください。世界中に留学しているトビタテ生から、週に1度1ヶ月の短期集中連載を行ってもらっています。ルールは2つ。「留学先の写真を載せてもらうこと」と「普通の友達には話せないような濃ゆい専門の話を思う存分ぶちまけてもらうこと」です。

4月のトビタテ便りは3人のトビタテ生に書いてもらっています。本日の便りは、ウィーンにいる大矢未来さんから。誰が読むのかこんな記事! という程本気で語る「芸術」をお楽しみください。(第一回はこちら

書割を新たにした芸術家たち:世紀転換期の劇場改革

1860年代から始まったウィーンの近代化は、リングシュトラーセを一つの大きな舞台とした壮大な演劇のごとくドラマティックに展開していった。一方、ドイツで起こった劇場改革の波は1890年代から20世紀初頭の世紀転換期になって、遂にウィーンにも到達した。芸術家たちは分野も国も関係なく交流し影響し合いながら、新しい芸術を生み出していく。

1.没入のロジックーリヒャルト・ワーグナーとバイロイト祝祭劇場

19世紀後半、そして現代にも続く劇場文化を語る上で欠かせないのは、ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)バイロイト祝祭劇場である。この劇場は、一人の音楽家が自分の作品の上演のために開いたというだけでも十分イレギュラーだが、様々な点で従来の宮廷歌劇場とは異なる特徴を持っていた。

まず目につくのが形で、客席がこれまでの宮廷劇場で使われてきた馬蹄形ではなく、ギリシア由来の円形になっている。馬蹄形の劇場では、二階の中央のいわゆるロイヤルシートが舞台が一番よく「見える」席であると同時に、他の席に座る観客からも「見られる」席である。宮廷劇場は、そもそも演劇やオペラを集中して観る場というより、むしろ支配者である王の権威を示す場所であり、上流階級の社交の場だった。一方、円形の劇場では、ロイヤルシートはおろかボックス席などもなく、どの席に座っても舞台に視線が向けられる。
オペラハウスには欠かせないオーケストラ・ピッドは、バイロイトの舞台には見られず、地下に潜り込んでいる。客席からオーケストラの様子は全く消え失せ、目の前の舞台では神話や騎士伝説の物語が再現され、地下からはオーケストラの音のみが聞こえてくる。地下のオーケストラ・ピッドから聞こえる音は通常のオペラ・ハウスよりも滑らかだという。
開演中は客席の明かりをかなり暗くするという、今日ではごく当たり前の習慣はバイロイトで始められた。照明技術の発展に伴い、それ以前にも客席の照明を暗くすることは技術的には可能になっていたが、社交の場である劇場でそのようなことは行われなかった。19世紀末になっても、パリやロンドンではこの習慣がなかなか受け入れられなかったという。
このような劇場の構造によって、観客は舞台に集中することが出来る。暗闇の中に浮かび上がる神話や伝説の世界と地下から聞こえてくる音楽が相まって、まるで儀式にでも参列しているかのような気分になったとしてもおかしくはない。バイロイトでの上演を前提として書かれた最後の作品《パルジファル》は、実際に宗教的な儀式の場面を含むだけでなく、舞台美術にはシエナの聖堂がモデルにされている。ドレスデン・アーメンという旋律が重要なモチーフとして繰り返し現れ、それをあるところでは合唱を舞台裏から聞かせるなどして、聖堂のような音響効果を狙った。ワーグナーは、観客を作品に没入させてしまう名人だったのであり、そのロジックは政治も含め、あらゆる方面で今もなお生きているのである。
(*毎年音楽祭が開かれるこの祝祭劇場では、ワーグナーの多くの楽劇同様、バイエルン国王ルートヴィヒ二世の援助のもと建設された。一音楽家が一国の王をパトロンに持ち、自分の作品用の劇場を開き、そこに今もなお世界のセレブが集まる…と考えると、彼のマネージメント能力は素晴らしい。ちなみに、バイロイト音楽祭のチケットはとても倍率が高く、一般人がチケットを取ることが出来るのは10年に一度と言われる。ワーグナーの作品同様、長い時間が必要。)

2. 闘う芸術家たちーグスタフ・マーラーとウィーン分離派

世紀転換期に活躍した作曲家グスタフ・マーラー(1860-1911)は、生前はどちらかといえば指揮者として高名だった。マーラーの名言「伝統とは怠惰のことだ」は、新たな演出を受け入れようとしないウィーン宮廷歌劇場(現ウィーン国立歌劇場)メンバーに対して発せられた言葉である。ライプツィヒ、ブダペスト、ハンブルクの歌劇場を経て、1897年、マーラーはウィーン宮廷歌劇場の音楽監督に就任した。その指揮は一定の支持を得たものの、必要に応じた編曲は度々スキャンダルになった。それまでの劇場でもスタッフと衝突を繰り返してきたマーラーだったが、ウィーンに来てもそれは変わらなかった。バイロイトに倣い、ここウィーンでも上演中は客席を暗くし途中の拍手や入場を禁止したことは、今では当然のマナーとされているが、当時は画期的なことだった。
当時の最新技術である廻り舞台を取り入れ舞台転換を容易にし、ワーグナーやモーツァルトの作品の上演を増やし、歌手の欠員を出さないように一つのプロダクションに二組のキャストを配置し、さらに歌手に対して作品をより深く理解するよう強く求める…など、今日では常識になっている体制の基盤が築かれた。
リングシュトラーセ沿いの建物のような貴族文化に由来する時代遅れの形式に縛られず、市民たち自身の新しい芸術を創造しようという考えは、分野を越えて多くの芸術家が抱いていた。グスタフ・クリムト、コロマン・モーザー、オットー・ワーグナーらが属するウィーン分離派も、そうした芸術家の集団だった。1902年の第14回分離派展では、「ベートーヴェン」をテーマに様々な作品が展示され、それらの作品を前にマーラーが室内楽用に編曲した《交響曲第九番》を指揮した。同作品に取材したクリムト《ベートーヴェン・フリーズ》に描きこまれた「黄金の騎士」はマーラーともいわれる。マーラーの確固たる姿勢は、理想のために闘う芸術家の姿そのものだったのかもしれない。この交流を通じ、マーラーはアルフレート・ロラー(1864-1935)という協力者を得て、劇場改革をさらに進めていった。

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ウィーン国立歌劇場。マーラーはおよそ10年で多くの改革を成し遂げた。

 

3.色彩のドラマーアルフレート・ロラーの演出

19世紀までのオペラ演出では、舞台画専門の工房によって制作された二次元的の書割が使用された。描かれるものも慣習的なものが大半で、異なる作品の上演に使いまわされることも多かった。さらに、美術的な価値よりも歴史考証の正確さが重視されたため、一流の画家が舞台画を手がけることはなかった。歌手の演技も特に重視されておらず、書割の前で決まったポーズを取って歌う姿は、前回触れた「活人画」そのものと言っても良いかもしれない。「演出家」という役職は存在したが、今日のそれとは違い各部門のまとめ役という意味合いが強かった。このような状況は世紀後半に少しずつ変わっていき、特定の作品のためにそれぞれ舞台装置を作ることも増えていく。ワーグナーとヴェルディというオペラ界の二大巨頭は、作曲のみならず歌手の演技や舞台装置などの演出にも力を入れた。ドイツ語圏では特にワーグナーの影響が色濃く、マーラーはじめ次の世代の芸術家たちは、ワーグナーの作品や思想をそれぞれに実践を通じて解釈していったと言ってもいいかもしれない。
分離派の主要メンバーだったロラーは、1904年からウィーン宮廷歌劇場の舞台美術主任としてマーラーと共に数々の名演を作り上げた。彼の舞台美術は、ここから十年の間に他の劇場で舞台美術を担当したエドヴァルト・ムンクやパブロ・ピカソらに比べればそれほど前衛的ではなかったが、それゆえにウィーン宮廷歌劇場でもある程度受け入れられ、今日まで影響を持ちつづけていると考えられる。とりわけロラー着任の前年に上演されたワーグナーの楽劇《トリスタンとイゾルデ》は、オペラ史にとって記念碑的な演出である。

ロラーの演出は、ウィーンの舞台美術のスタイルをハンス・マカルト風のネオ・バロックから分離派へと変えただけでなく、舞台上で演じられるドラマの重層的な意味を、色彩で視覚的に暗示した。船上が舞台の第一幕では、従来の平面的で華やかな書割は使われず、仄暗い赤の天幕を基調とした立体的な装置が使われた。船室に置かれた家具はユーゲントシュティール風である。照明は舞台を見渡すための「明かり」ではなく、舞台上の「演出」の一部となった。ロラーは照明を芸術的な演出手段として使った最初の演出家の一人だった。それまで照明の役割は客席と舞台を明るく照らすにとどまっていたが、技術の発達によって明暗のすばやい転換や色の使用が可能になったのである。

Szenenskizze zu "Tristan und Isolde" von Richard Wagner, 1. Akt

カルロ・ブリオスキ《トリスタンとイゾルデ》第一幕 舞台画スケッチ
ÖNB Bildarchiv und Grafiksammlung [NB 606880-B]

Szenische Entwürfe von Alfred Roller zu "Tristan und Isolde" von Richard Wagner

アルフレート・ロラー《トリスタンとイゾルデ》舞台画スケッチ 上の二枚が第一幕
ÖNB Bildarchiv und Grafiksammlung [NB 606125-B]

この舞台の全体的なほの暗さは、イゾルデのトリスタンへの鬱々とした気持ちを表している。この幕でイゾルデが侍女相手に語る通り、イゾルデにとって、トリスタンは自分の婚約者の敵であり、殺せなかった相手である。そして、今は自分の仕える王の元にイゾルデを王妃として連れていこうとしている。イゾルデはトリスタンを愛してしまったがゆえに殺せず、自分を避けるトリスタンに不満を抱いているものの、現状では本心を明言することはできない。ロラーは楽譜から読み取られる登場人物のこのような複雑な心情を視覚的に舞台上に表したのである。上演批評から、ロラーは音楽の変化に合わせて照明を調節したと考えられる。
ロラーは演出を「決して自己目的のものではなく、まったく従属的なもの」(Der Merker. v.1 no.1 1909, p.195)ととらえ、作品から読み取られることを第一とする姿勢で制作にあたっていた。このようなロラーの演出は、《トリスタン》のような既存作品だけでなく、同時代の新たなオペラ創作にも影響を及ぼすことになったのである。

主な参考文献

  • ヴォルフガング・シヴェルブシュ『闇をひらく光〈新装版〉 19世紀における照明の歴史』(小川さくえ訳 )東京:法政大学出版局 2011年

*今回引用した舞台画のカラー版は、以下三つの文献でご覧頂きたい。

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