ソーシャルビジネスの可能性を「始まりの場所」と「ラスト・フロンティア」で探る

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本日の更新は、一期生の木村恒太朗さん(多様性人材コース/バングラデシュ・ミャンマー)の日本代表選手紹介記事です!
勝ち負けのスタートラインにも立てない人たちがいる、ということを知った彼が目指す将来の夢とは?

Contents

  1. 基本情報
  2. 留学の内容
  3. 自分を突き動かすもの・留学の動機
  4. これから・・・

【基本情報】

トビタテ1期生 多様性人材コース

留学先 バングラデシュ・ミャンマー(それぞれグラミン銀行・現地NPO)

所属:愛知県立大学 ドイツ語圏専攻 学部3年

出身県:岐阜県

好きなジブリ:紅の豚

【留学の動機・内容】

ソーシャルビジネスの可能性を「始まりの場所」と「ラスト・フロンティア」で探る。

留学の概要

「ソーシャルビジネス」というアイディアを1つ核にしてこれを勉強し、実践することが僕の計画です。

具体的には

自分の力が発揮できるのはアジアというフィールドと思っていて、アジアの中から英語が勉強できるフィリピン、ソーシャルビジネスの「始まりの場所」のバングラデシュ、そして「ラストフロンティア」のミャンマー。

この3つの国に行こうと決めました。

フィリピンでは語学学校Nexseedさんにお世話になりひたすら英語でした。なお、この語学学校ではObjective-CやPHPといったプログラミングを学べる授業もあるので、非常に有意義な時間でした。

バングラデシュにはソーシャルビジネスという言葉を有名にした、グラミン銀行があります。グラミンとは向こうの言葉で「村の」という意味です。グラミン銀行はそれまでの常識ではありえない、貧しい人のみにお金を貸す銀行でした。通常の銀行ではそれは担保がないためありえません。返ってくるか分からないお金になってしまいます。しかしバングラデシュにはそのような人はたくさんいます。ビジネスを始めるや起業は日本人にとっては一大事かもしれませんが、彼らにとっては当たり前のことなので、グラミン銀行はその元手を供給している、新しいインフラのようなものなのです。このグラミン銀行でぼくはインターンとして村の生活を実際見たり、お金の流れを根本から追ったり、多種多様なことをしました。

ミャンマー。ここまで英語とソーシャルビジネスについて学んできました。僕にとってはここからが本番です。現地のNPOと協働して何かソーシャルビジネスを始めるのがここでの目標です。

まだまだ実行はこれからですが、ミャンマーでは図書館を作ろうと思っています。

これは後に留学の動機でも書くことですが、地方にいるというだけで機会が与えられないのは不合理とぼくは考えています。

【留学の動機・自分を突き動かすもの】

突き動かしているものは留学には直接は関係もないものですが、うまく説明しようと思うと必要なので書いていきます。

まず最初に書かなければならないことは、ぼくは今までの生活で恵まれてきたということです。自分の生活環境に不満を持ったこともないし、行きたい学校に行ったり、欲しいものを買ってもらったり、食べたいものを食べさせてもらいました。だけどそんな満ち足りた世界の中で1つだけ努力ではどうにもならない、自分が努力するしかないものがあって、それが長く付き合うことになる「剣道」でした。

スポーツにはもちろん家庭環境も何も関係なくて、自分の努力のみが上手くなったり強くなったりする秘訣と言えます。しかしその中でぼくは呆れるくらい努力をしませんでした。笑っちゃうくらいです。

その結果、当たり前ですが、ぼくは全く勝つことができませんでした。その時苦し紛れに考えついた理屈が「自分が負けるから、誰かが勝てる」でした。つまり「自分がいないと勝負は成り立たない」「だから自分は努力しなくていい」とこういう理屈を持つようになります。ほんとうに生意気な子どもだったなぁと自分でも思うのですが、とにかく自己正当化をどこまでもしていました。

あとから考えて気づいたのですが、ここでぼくは同時には経験しにくいものを同時に体験していました。社会の中で「勝つ」ということと「負ける」ということがどういうものなのか、です。

さらに年を経るごとにいろいろなこと、自分の興味が赴くままに本を読んできたぼくはこの世の中にはその「勝ち負け」のスタートラインにも参加できない人がいることを知ります。

ここでぼくが思ったのは、なぜそのような人たちが出てきてしまうのか、です。

そしてこうも考えました。いったいこのような人たちはどこがいけなかったのか、と。メキシコに生まれただけで命がけでアメリカへの国境を渡らなければいけない人たち、低い所得の両親やシングルマザーのもとに生まれただけで自由に人生を選べない人たち、LGBTなだけで多くの人から色眼鏡で見られる人たち。

これって誰の責任でしょう?誰が悪いのでしょう?

誰も悪くないんですよね。強いて言えば「環境」が悪い。環境さえ良ければ、その人たちは自由に人生を生きられるかもしれない。

しかし環境が悪いとはどういうことなのか?これはつまり、「運が悪い」ということです。僕らは親も国籍も兄弟も何もかも選ぶことはできません。性別さえ。

では運が悪いことに対して「君は運悪かったね、ぼくは運が良かったからがんばって」とはぼくはとても言えないんですよね。なにかしたいと思ったし、するべきとも思いました。

そういう「スタートラインにさえ立てない人たち」にこれからも何かしていきたいと思ってます。

【これから・・・】

これからのことは直近の半年間はわりとクリアーに見れています。ミャンマーに飛び立って自分がやるべきこと、ミャンマーの地方にいて十分な教育機会が与えられない人たちに対して教育機会や自分が生きたいように生きられる手伝いになるような図書館を作りたいと思います。

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