マイノリティーの人々が生き生きと過ごせる世界は、誰もが笑顔で過ごせる世界

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本日の更新は渡部清花さん(新興国コース/バングラデシュ)の紹介記事です。国連開発計画でのインターンを行い、その様子を朝日新聞にも連載しているという凄腕の彼女の留学計画をチェック!

「マイノリティーの人々が生き生きと過ごせる世界は、誰もが笑顔で過ごせる世界」

1、基本情報

2、留学の目的

3、留学に至った経緯

4.応募用紙に書いたことの紹介(これから応募する方への参考まで)

5、活動・コンタクト

1.基本情報

■渡部清花(わたなべ さやか)

■トビタテ1期生 新興国コース バングラデシュ

■留学先:UNDP(国連開発計画)ちぇれめいえproject

■所属:静岡文化芸術大学 文化政策学部 国際文化学科(新6年生!)

■出身:静岡県 出身高校:静岡県富士見高校

■言語:日本語>英語>チャクマ語(バングラデシュの先住民族語)>ベンガル語

■好きな言葉:Being different is beautiful.

 

2、留学の目的

民族対立が残る地域での開発のあり方とは。

(竹で編んだ家を近所の人たちが順番につくり合う制度が昔からある。)

民族対立が残る地域で、
国際機関の開発は人々と地域にどのような影響を与え、
生活をどのように支えていくのか。

マイノリティ側にはどのような配慮と方向性を示していくのが、持続可能な開発の道なのかを学ぶ。

これまで現地語を生かしながらフィールドで行ってきたNGO駐在員としての草の根型の支援と、

国連開発計画という大きな組織による政府と共同して行う公的な支援の両サイドの可能性と限界、

メリットとデメリット、そして将来的な協働のありかたを見据えることができるようになる。

 

3、留学に至った経緯

教科書をめくったときの「あ、ここ、見たことある。」から始まった。

(現地の子みたいですが、一番左がわたし・・・)

7才。母に連れられバングラで看護師をしていた叔母を訪ねた頭の片隅の記憶

小中学校の教科書の中の途上国の写真。「あ、ここ、見たことある!」と興味を持つ

高校のとき「こんなことを仕事にしてる人がいるんだ!」と知る

大学で国際協力を勉強したくって国際文化学科に。

→ゼミのフィールドワークでは行かないよと言われた
 国の中のマイノリティである先住民族の地域に足を運んでみる

→家族と地域のつながりの深さと濃さ。
人間は自然の一部なんだいう力強さをもった先住民族に出逢う

→滞在最終日に直面したベンガル人と先住民族の衝突。負傷者。戒厳令。交通封鎖。軍。

→帰国後、この見えない紛争地の歴史と背景を知るにつれ、何かできないかと思うように

→大学の5人の仲間と
先住民族の子どもの教育支援NGOちぇれめいえprojectを立ち上げる

4年次を休学して、初期の現地駐在員として寄宿舎学校に寝泊りしながら過ごす

→日本から多くの方に支えられ、
 親を亡くした子どもの里親制度若者による地域づくり事業スタート

→山岳地帯の三県合わせて日本人1人。
想定外だった民族語で生き延びねばならない日々。

NGO的な草の根支援と、国際機関行政の役割や連携のあり方に関心を抱く

→紛争が終わった後、この土地に入ってきた国連開発計画(UNDP)の存在を知る

「コミュニティー・エンパワメント」という部署
・・・国連にそんなことできるのか?!

「民族対立が残る地域での開発」を学んで今後に生かしたい

→インターンに応募しようと思いつく

→条件は「バングラ国籍、修士以上、25歳以上」
・・・ひとつもあてはまっていないという衝撃。

→めげずに応募&面接に行く。受け入れてもらえることに。

→一方、1年間の滞在費と渡航費でバイトで貯めた貯金は底を尽きていた。

→たまたまツイッターで見つけた「トビタテ」の存在!

→「これは受かるしか道がない・・・」

→1期生に選出していただき、バングラデシュ渡航3ヶ月目。

→泣きながら笑いながら踏ん張る日々(←いまここ)

 

いま、UNDP(国連開発計画)でインターン中のわたしが暮らしている
「チッタゴン丘陵地帯」はバングラデシュの中でも、
地理的、民族的、伝統的に最も多様性に富んだ地域のひとつです。

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(朝の市場。女の人は働き者。)

昔から、国の大多数を占めるベンガル人ではなく、11の先住民族の故郷でした。

これらの民族にはそれぞれ、特色のある言葉、文化、伝統、宗教があります。

しかし、東パキスタンからバングラデシュが独立するときに組み込まれたこの地域では、
大規模開発事業による立ち退き、政府の入植政策や、軍隊を送り込む中で紛争に突入。

先住民族と政府の間の紛争中の25年以上、開発援助もなかなか届きませんでした。

1997年の和平協定によって停戦した今も、
先住民に対する人権問題土地の収奪襲撃事件レイプ事件などが存在します。

バングラ地図  CHT地図

(インドのお隣バングラデシュ)       (ミャンマーと国境を接する山岳地帯)

 

 ≪この地域と人々に出会って奮闘した最初の1年≫

先住民族の暮らすこのチッタゴン丘陵地帯に大学4年次の1年間、

大学の仲間と結成したNGO「ちぇれめいえproject」の代表兼初期駐在員として滞在していました。

先住民族の子どもの教育支援と若者の地域づくりに関わる団体です。

ちぇれ

 

世界中からほとんど注目されていない、とり残された地域で、
子どもたちや村人、若者たちと日々を共に過ごしながら、
日本との架け橋をつなげながら仲間と共に草の根の活動をしてきました。

当初は言葉も全くわからない中での滞在で、
困難は予想をはるかに超えていましたが、

22歳。

日本の仲間と海を越えて連絡を取りながら、
日本人(というか外国人)がほぼいない土地で
民族語で生き延びるしかないフィールドで得たものは教室で得られる学びとは全く違う質の学びでした。

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 (1年ぶりに再会した村の5人兄弟と友達。長女だけ学校には行かずに家事を手伝っている。)

 

当初は、先住民族の子どもたちの教育支援を活動の軸に現地に入って、
奨学金や図書館支援をしてきましたが、

現地の同世代の若者たちに出会い対話を重ねる中で、
若者が持つ潜在能力を地域のために使う方法を生み出したいと感じました。

 

その最初の挑戦で開催したのが、ゼロから企画をした「若者学びあいツアー」

現地の同世代の若者たちと対話を重ねる中で、
政府から抑圧されている地域であっても
若者が持つ潜在能力が高いことに気が付いたのでした。

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(バングラデシュの首都にさえ行ったことがなかった先住民族の若者たちが自分の国を知る機会にも)

私が日々を過ごしてきた先住民族の若者10人と、
日本からやってくる大学生10人が丘陵地帯の彼らの故郷で1週間共に過ごし、
お互いの文化や違い考えに触れるきっかけを作り出すことを目的としました。

 

顔が見える距離で意見を交わすことで、
そして日本人が外から見た村のよさを伝えることで、
現地の若者が自分の村や地域の未来をどう築いていくのかを考え、
なにか小さな一歩を踏み出せたら。

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 (学びあいツアー時の、日本人の若者と先住民族の若者たちのディスカッション風景)

現地メンバーから若者団体が生まれ、
次のステップに向けて具体案が挙がり、
いまも大事なパートナーとして一緒に共同事業をしています。

 

日本との架け橋にこだわっていた理由は、
バングラの地域の人が自分の地域に関わり地域のよさを見つけ出すとともに、
日本人も逆に海を挟んだ国の人々から、
日本が経済成長の裏で失っていった地域の絆やコミュニティーの力を学ぶところが大きいと実感したから。
日本が持続可能性のある成長をしていくためには、
従来型の経済発展一辺倒ではなく、
国民のQOLが保障されることが大切。

従来の「支援する側・される側」という構図での支援ではなく、
住民の潜在能力を最大限に引き出すエンパワメントに興味をもつようになっていました。

 

 ≪国連開発計画(UNDP)でのインターンをしようと思った≫

さて、こんな日々の中、村でのインタビューや何気ない日常の中から知る、
先住民族の想いはたくさん聞くことができました。

彼らの目から見た「開発」とはなんなのかものぞくことができました。

 

一方で、この地域で起こっている先住民族同士の対立構造、
ベンガル人から見た先住民族、
中立である国際機関の動き、
抑圧と人権侵害にしか感じられない政府の政策等は、

残念ながら村での毎日からはなかなか見えてこない。

2012年ランガマティ衝突新聞記事

(初めての訪問時の最終日に起きた大きな衝突の記事。いまも解決しない和平への厳しい道のりを知る。)

 

現場で見た矛盾を、学問的、体験的にもっと学び、知りたい!

そんなとき、
国連開発計画が和平協定後から開発プロジェクトに着手していることを知りました。

 

興味を持ち、何度か足を運んで話を聞く中で、
私のもっとも興味のある
「コミュニティー・エンパワメント」という部署があることが分かったのです。

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 (村の女性たちが主体となって結成したグループのひとつ。)

25のエリア、3000以上のコミュニティーで実施されているという
地域づくりのプロジェクトとははどんなものなのか、

それは本当に村の人たち、
とくに政府から保護を受けていない先住民族の人々のためになっているのか、

外から与えるだけの支援ではなく
住民の潜在能力を最大限に引き出すエンパワメントになっているのか・・・???

そんなことを、
ベンガル人だけの組織でもなく先住民族だけの組織でもない
国連開発計画でインターンをして勉強したいと強く感じるようになりました。

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 (お年寄りと子どもと近所の人たち。日々のなんでもない時間を共有することが人と人のつながりを生む。)

 

「さて、でも、どうやって・・・・?」

国連のオフィスを発見して突撃し、

最初は先住民族の女の子だと思われて守衛さんに門算払いされ、

めげずに今の上司に会いに行き、

インターンへの条件をひとつも満たしていないのにも関わらず、

履歴書と経歴書を提出し面接を受け、

帰国後に学食でランチをしているときに

とてもとても電波の悪いバングラからの国際電話で

「12月からおいで!」と言っていただけて今に至っています。

 

≪そしてインターンとしての日々。≫

「住民が自らの力を発揮して、地域づくりや開発に関わっていく仕組みづくり」
をするコミュニティー・エンパワメントという部署に属しています。

エンパワメントとは、
人々に夢や希望を与え、人が本来持っている生きる力を湧きださせる活動のこと。
この半年間のわたしの任務は

「村の中で経済的にも政治的にも、最も弱い立場に置かれてきた女性たちが、
自分たちが主体となって活動する自助グループ(これを国連がこの土地で導入している)
の活動を通してどのように変化し、社会へのコミットメントができるようになってきたのか」

の調査とインタビュー、ケーススタディー収集、報告書作成です。

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(ある日の村での調査のひとこま。)

 

村の女性たちが政治の意思決定に参加したり、
経済活動に力を発揮したり、
女性ならではの能力を生せるために紛争後に結成された「女性組合」が
どのように機能しているのか、また機能していないのか、
持続性は考慮されているのかなど
ここの組合への聞き取り調査を重ねてレポートを作成します。
このレポートによって、
今後、国連がこの事業をどのように進めたらもっと効率がいいのか、
長いスパンでの持続性をもたせられるのか、
そのヒントを見つけられたらと思っています。

 

■最後に■

国連機関だからできる大規模なインパクトを持った開発や関わりと、
NGOや個人だから即効性をもって柔軟ににできる活動がある。

例えば、年末に起こった先住民族の村への襲撃事件に対する緊急支援。

国連は事件に関して「中立」という最重要なスタンスから
支援をまったくすることができなかった。
一方、個人のグループやNGOは翌日から動いていた。

どちらが良い・良くない、ではなくて、
地域づくり国づくりに関わる際には、
さまざまな観点その協働がカギになってくる。

「マイノリティーの人々が生き生きと過ごせる世界は、誰もが笑顔で過ごせる世界」

これがわたしの築きたい世界で、生きてゆきたい社会です。
日本にだっている弱い立場の人々が、今日も笑顔で過ごせることを願って。

4、応募用紙に書いたこと紹介(これから応募する方への参考まで)

困難を克服した経験(応募時原文そのまま!)

インドやケニアでも大小の困難はあり、それを持ち前のチャレンジ精神とバイタリティで乗り越えてきた。しかし、最大の困難はこの1年過ごしたバングラデシュ丘陵地帯での日々。国の公用語であるベンガル語を日常会話が可能なレベルまで習得し、これまで勉強を続けてきた英語も駆使すれば、バングラデシュの先住民族とも意思疎通が図れると思っていた。が、それは見事打ち砕かれた。英語はおろかベンガル語さえ通じない村人がほとんど。私が最も話をしたかった一般の村人、とくに子ども・若者は民族語が中心。しかもその民族語には文字がない。音をかな文字やアルファベットに落とし込み、トライ&エラーで言葉を習得していく日々。分かり合えないことが悔しくて涙を流す日もあったが、最初の3ヶ月を乗り越えると、それまで音楽にしか聞こえなかった言葉が、ふと区切れて聞こえるようになった。そうなればしめたもので、今は日常会話に困らない。村人へのインタビューも一人で可能になった。だが、文字がないため、次に訪れるまでこの記憶が持ってくれるかが、少し心配。

 

留学の志(応募時原文そのまま!)

私が、同じ国連の中でもニューヨーク本部やバングラデシュの首都ダッカの本局を選ばずに、過去に1年間滞在した地域にある山岳地帯の小さなオフィスを希望した理由は、ひとつの地域やそこに絡む課題を様々な角度から深く掘り下げたいと思ったから。「若いうちはいろいろな国に行き、視野を広げたほうがいいでしょ」と言われたりもする。しかし私は、広く浅くではなく、一地域に入り込むことで逆に得られる広い視野があると考える。また、この地はマジョリティーであるベンガル人と元来暮らしていた先住民族の両方が混ざり合う地域だ。ベンガル人に対する先住民族の不信感、先住民族に対するベンガル人の見下し感も言葉では説明できないほど深く入り組んでいる。どちら側でもない「外国人」である自分が現場で見てきた矛盾を、学問的、体験的にもっと学び、両者の中立の立場である国連機関や「外国人」が新興国のコミュニティーに入り込むことで、得られる可能性も探りたい。当初感じた、「どうせ外国人だからできない」ことを強みだと捉え「外国人だからできることがある」と物事に向かえるようになってから、考え方が少し変わった。グローバル社会において、日本の持続可能な成長の大きな鍵は、新興国とのパートナーシップの構築にあることは論を待たない。しかし、同世代の現状を見渡したときに、それに本当の意味で気づき、担い手となれる人材がどれほどいるのだろうか。多様な人間を応援してくれるこの制度によって、次代を担うグローバルリーダーとなり、若者が持つ消極的な安定志向や若者全体に蔓延する閉塞感を打破するような勢いのある人材になりたい。

 

アピールできるポイント(応募時のそのまま!)

好奇心と発想力、行動力、そして笑顔は最大の持ち味。両親が中心スタッフの子育て支援系NPO活動にも参画。東日本大震災の被災地支援や大阪・釜が崎の生活困窮者支援活動に参加。戦争体験を手記にしたお年寄りとの出会いから広島、長崎、沖縄を巡る旅企画。外国籍の方々が多い浜松にある大学生活で、多文化・グローバル化は海外だけの問題ではないということを自覚し、外国籍児童の学習支援にも参加。NGOやJICAのスタッフ、多国籍企業の駐在員等に積極的に会い、見識を深めてきた。現地では常に、現地の人々と同じ目線で過ごし、帰国の都度、各所で報告会開催。現地滞在中は朝日新聞に、1年間、毎週コラムを連載。

 

5、活動・コンタクト

トビタテの仲間、同じようなことに関心がある方、一緒になにかできそうな方、ぜひ連絡ください!

 

■メール:namaskar.sayaka(あっと)gmail.com

■朝日新聞 2014年度・毎週連載中コラム「バングラデシュ通信~少数民族と村づくり~

2013年度・毎週連載コラム「バングラデシュ通信~少数民族の村より~

■先住民族の子どもの教育支援と若者の地域づくりに関わるNGO「ちぇれめいえproject

ちぇれFB

 

留学相談したい方は、Diverseasからどうぞ

ABOUTこの記事をかいた人

Jess

静岡県の大学→東京の院(人間の安全保障)バングラの先住民族の子ども若者支援「ちぇれめいえproject」/平和構築/開発と人権/難民ホームステイWELgee/トビタテ/UNDP/Swy24/makers